■「自分はいったい何なんだ」

 前代未聞の五輪延期は、東京大会に照準を合わせていた三宅にとっても大きな打撃だ。2016年のリオデジャネイロ五輪では代表の座を逃したが、昨年のフェンシング世界選手権(FIE World Fencing Championships 2019)では、男子フルーレ個人で日本勢最高の13位に入っていた。

 国際オリンピック委員会(IOC)は東京五輪の開幕日を2021年7月23日に設定し直したが、世界で約30万人もの死者を出している新型コロナウイルスのワクチンが開発されなければ、その開催すらも危ぶまれる。

 三宅によれば、フェンシングの日本代表チームが東京五輪の延期を知ったのは最終選考会の一つが開かれる米国に到着した翌日。トレーニングや大会の日程がいきなり白紙になり、4月は「つらい」1か月を過ごした。

「スポーツと文化はやっぱり生活の二の次。そもそも五輪が望まれていないんじゃないかと思い始めてしまったりもする。じゃあスポーツがなかったら自分自身はいったい何なんだろうと、4月中はずっと考えていましたね」

■「フェンシングが好き」

 それでもウーバーというアルバイトを足がかりに、三宅は成功を目指して再び動き始めた。

 緊急事態宣言が解除された時に備え「いかにスムーズに練習に復帰するか」が今の「最大のミッション」だと語る。「小さい目標を積み重ねて大きな目標につなげていくという作業が、今本当に求められていることだと思う」

 とはいえ「精神的、身体的な面でもすり減らす」五輪までの1年間をまた繰り返すことに、全てのアスリートが耐えられるわけではないとも思う。

「やっとこさ走った42.195キロのゴール地点で、また明日も走ってねと言われる」ようなものだと。

 子どもの頃、自宅のあらゆる壁に向かってアタックの練習をした。そのフェンシングへの情熱が、今も自分を奮い立たせている。

「好きだから。やっぱりフェンシングを好きじゃないとここまでやらない。遠征にも行きたいし、五輪にも出たい。だからやっている、それ以外の何物でもない」 (c)AFP/Harumi Ozawa