【2月7日 AFP】全世界を恐怖に陥れている新型コロナウイルス流行の中心地から、AFPの取材班が8日間にわたって報道を行った。レオ・ラミレス(Leo Ramirez)、エクトル・レタマル(Hector Retamal)、セバスティエン・リッチ(Sebastien Ricci)の3人の記者は、流行の発祥地となった人口1100万人の大都市、中国湖北(Hubei)省武漢(Wuhan)が世界から遮断された様子を映像、写真、記事で伝えた。

 3人が自らの体験を語ったのは、ここフランス南部のリゾートだ。彼らはフランス当局が準備した保養施設に収容され、死ぬこともあるこのウイルスにかかっていないことを確認するために隔離下に置かれている。

■レオ・ラミレス(ビデオ担当)

 喉が痛み始めたんじゃないか? 体温が上がっていないか? 感染したのか? 武漢で過ごした8日間、私の頭の片隅には常にこうした問い掛けがあった。

中国・武漢の病院(2020年1月25日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

中国・武漢の病院(2020年1月25日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 1月31日に南仏の保養施設に隔離されるまで、われわれはウイルス流行の中心都市を取材した唯一の国際通信社の取材班だった。2月2日までに中国だけで300人以上が死亡、1万人以上が感染。世界のあらゆる場所で感染者が出始め、パニックの種をまき散らしていた。

 この期間に私が撮影した映像は、AFPに勤めて10年間の中で最も強力な映像の一つだ。私はこのウイルス流行によって、最も悲しい顔と最も勇敢な顔の両方を見た。自らの命を危険にさらして活動する何百人ものボランティアと、ノンストップで働く医療関係者らだ。

 それには二つの課題があった。この重要な出来事を伝えることと、自分がウイルスに感染してこの出来事の一部にならないことだ。

 目に見えない敵から身を完全に守る絶対確実な方法などない。だが、ウイルスに感染する確率を低くするためにできることはある。マスクを常に着用し、手術用手袋とゴーグルを使用すること。執拗(しつよう)に手を洗うこと、規則正しい食事とビタミンを取ることだ。

中国・武漢(2020年1月28日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 われわれのホテルの入口では、ある儀式があった。体温を測定され、37度未満ならば中に入れてもらえるのだ。武漢で3日間仕事をしたところで、この儀式が怖くなった。危険が満ちたあちこちの場所で一日中働いた後、ホテルに入り、体温の検問所を通り抜けるのは最悪だった。

 ある日、最も恐れていたことが現実となった。私を測った体温計が37.6度を示したのだ。パニックになるな、体温計が間違うこともある。もう一度測ってみた。やはり37.6度。3回目も同じ結果だった。私も周りの人々も気持ちがめいり始めた。再度、今度は体温計を変えて測った。36.6度だった。誰もが少しほっとした。

(c)AFP / Hector Retamal

 日々の仕事をこなす中で、私は自分の体について非常に意識していた。咳が出そうになっても、汚名を着せられないようにと、咳を抑えた。一日中、「咳をするな、くしゃみをするな、手袋が破れませんように」と自分に言い聞かせ続けるのだ。誰かが私のジャケットにくしゃみをすれば、すぐにそれに気が付くのだ。

 毎日、私たちはホテルから手ぶらで出かけては、たくさんの情報を持って帰った。あそこから立ち去ることが本当に悔やまれた。そうしなければならないのが本当につらかった。あそこにとどまり、起きていることを記録すべきだという気持ちなのだ。

■セバスティエン・リッチ(記事執筆担当)

 われわれが武漢に到着したとき、そこはゴーストタウンのように感じられた。乗った飛行機には人けがほとんどなく、乗客はわずか30人ほどで、大半が家族に会いに来た中国人だった。彼らはわれわれを放心したような目で見据えた。まるで北朝鮮の平壌に向かう機内みたいだった。

 着陸した飛行場にも人けはなく、幹線道路は空っぽで、街には誰もいなかった。

閉鎖された中国・武漢への高速道路の入り口(2020年1月25日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 このがらんとした状況は、中国で最も重要な祝祭日である春節(旧正月、Lunar New Year)の時期だと思うといっそう際立った。いつもならば街は、祝日の準備をしたり盛大に祝ったりする人々であふれている。

 中国で10年近く仕事をしてきた私にとって、最も衝撃的で、深刻な異様さを痛感させられたのは警察だった。

 警察官たちはわれわれをほとんど無視し、仕事を続けさせたのだ。通常、警察は欧米のジャーナリストを厳重に監視し、取材を邪魔するものだ。おそらく彼らも手一杯だったのだろう。

中国・武漢(2020年1月26日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 過酷な場所に行くのが私の性分だ。アフガニスタン、イラン、クルディスタンにも行った。しばしば最も偉大な人間的温かさを目にし、最も記憶に残る人との出会いがあるのが、こういった困難な場所だ。今回は武漢だった。

武漢在住の夫婦。春節(旧正月)のごちそうを準備したが、息子は新型コロナウイルスのせいで武漢の自宅に戻ることができなかった(2020年1月24日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 ある日、われわれは地元のある家族を訪ねた。驚いたことに、彼らのアパートに招待してくれたのだ。着くと、食事が用意されていた。春節に来るはずだった息子が来られなくなったというこの夫妻は、1年のこの時を誰かと過ごせることをとても喜んだ。

 彼らはお茶を出してくれたが、われわれは初め、辞退した。外から入ってきたばかりで、2人に感染のリスクを負わせたくなかったからだ。だが彼らに何度も勧められ、われわれはついに折れてマスクを外し、一緒にお茶を飲んだ。それは本当に心を動かされる瞬間だった。人々が互いに不信を抱いても仕方がない状況にあるときに、この夫妻は温かくもてなしてくれたのだ。

 われわれは一度だけ、じかに死を目にした。私がホテルで記事を書き終えたところに、レオからひどく慌ただしい電話が来た。「この住所にすぐに自転車で来てくれ」。レオはそう言って電話を切った。ドアから出ようとしながら、彼の身に何か起きたのでなければ良いがと思った。それから副支局長が北京から連絡してきた。「すぐにレオのところに行ってくれ」。何か重大なことが起きたのだ。

 現場に着いて私が見たのは、道路に横たわる男性の遺体だった。近くには病院があった。その男性は白いマスクを付けたままだった。防護服に身を包んだ警察官がその周りに立ち、誰も近づこうとしなかった。その男性が実際にウイルスのせいで死亡したのかどうか、われわれには決して確かめることができないだろう。だが中国のような国で、病院の入口から50メートルしか離れていない路上に2時間も男性が放置されていたことが、事の深刻さを物語っている。

 武漢からフランスまでのフライトはやや非現実的だった。飛行場はまるでわれわれのためだけに建てられたかのようだった。運航表示はなく、与えられたチケットには便名はあったが目的地は書かれていなかった。乗客の中には、われわれは全員、これからサマーキャンプに行くんだ、2週間を隔離されて過ごすからね、と冗談を言う人もいた。全く話しをする気にならない人々もいた。家族を残していかなければならない人たちだ。

 これまで仕事をしているときに、振り返って考える暇などなかった。だが今はその時間がある。私の心に焼き付いて離れないことの一つは、武漢の人々の闘志だ。このような苦しい試練に直面してもなお、多くの人々は自分の生活を続けている。

フランス市民の避難者を乗せた飛行機の機内(2020年1月31日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

■エクトル・レタマル(写真担当)

 私はこれまでにも、このような取材を数多く経験した。2010年には死者9000人以上を出したコレラが流行したハイチにいた。チリでは、鉱山作業員33人が地下700メートルに閉じ込められた落盤事故を取材するため、砂漠で3か月間テント暮らしをしたこともある。

 今回最も印象的だったことの一つは、現地の人々がとても熱心に自分たちの体験を話してくれたことだ。われわれを見つけ出しては語り始めた。中国ではあまりこのようなことは起こらない。ある時は私を病院の中に連れて行って、診察を受けに来た人々が待たされている様子を見せようとしたこともあった。そこには大勢の人がいて、ひどく怖がっていた。

中国・武漢の病院(2020年1月25日撮影)。(c)AFP / Hector Retamal

 われわれ取材チームにとっては、監獄が変わっただけだ。武漢では、冬の季節の灰色の都市に閉じ込められ、定期的に体温を測られた。

 そして今は地中海のリゾートに滞在し、警察の保護下にある。相変わらずここを出て行くことはできず、定期的に体温を測られていることにも変わりはない(今のところ問題ないが、幸運がこれからも続くことを祈っている)。

 このような取材は、絶対に忘れないものだ。しかもある意味、そのすべてが衝撃的だ。だが、仕事を続けるためには健康でいなくては。

このコラムは、レオ・ラミレス、エクトル・レタマル、セバスチャン・リッチの各記者が、ミカエラ・キャンセラ・キーファー(Michaela Cancela-Kieffer)記者およびAFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2020年2月2日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

仏南東部カリールルエにある保養施設で体温を測るセバスティエン・リッチ記者(2020年2月2日撮影)。(c)Hector RETAMAL / AFP

仏南東部カリールルエにある保養施設で過ごすレオ・ラミレス記者(2020年2月1日撮影)。(c)Hector RETAMAL / AFP