■家族の一員

 この驚きの宝庫ともいえる博物館は、アルゼンチンが誇るサッカーの天才マラドーナ氏とビニャティ家のユニークな絆を物語っており、ナポリに滞在していた7年もの間、この家族が同氏にとって心のよりどころだったことがうかがえる。

 ビニャティさんはAFPの取材に対して、「幸運にも私の父は37年間、ナポリの本拠地サン・パオロ・スタジアムで働いていて、ロッカールームを管理していました。母はマラドーナの家政婦で料理人でもありました」と語った。

 また、きょうだいもマラドーナ氏の長女ダルマ(Dalma)さんと次女ジャンニーナ(Giannina)さんのベビーシッターをしており、当時まだ少年で青春真っ盛りのビニャティさんは、町のアイドル的存在だった同氏と毎日のように交流していた。

 ビニャティさんは「家族は月曜日から日曜日までディエゴと一緒にいた」と明かすと、当時マラドーナ氏が住んでいた町の高級住宅街ポジリポ(Posillipo)の丘に立つアパートメントの写真を見つめながら、そこがもう一つの自宅のようだったと語った。

「彼と奥さんがこういったものを全部くれたのです。うちは子どもが男の子5人と女の子6人の大所帯だと知っていましたから」「私はマラドーナのいた7シーズンにわたり、ボールボーイをしていました。月曜日には学校にも行かず、5人制サッカーをしに出掛けていました」

「そして火曜日には、彼がナポリの練習に連れて行ってくれたこともありました…。『ディエゴ、さあフェラーリに乗って行こうよ!』とね」

 現在、ビニャティ家の地下室に展示されている数々の宝は、サン・パオロ・スタジアムにずっと長い間しまい込まれていた。次男にディエゴと名付けたビニャティさんは、「父の部屋は二つありました」「一つはこれらの思い出の品を飾るためで、もう一つはとっておきのナポリコーヒーを飲むための部屋です」と明かした。

「父の死後、私がここに全部運びました。でも、クラブはこの博物館の存在を知っています」「彼らがミュージアムをつくるというなら、私はいつでも準備できています。全部スタジアムに戻すことを望んでいます。それは父の夢でした」

 マラドーナ氏は最後にナポリを訪れた2017年に、ビニャティさんの母親で同氏が「ナポリのお母さん」と呼んでいるルチア(Lucia)さんの胸の中に飛び込んだという。
 
 ルチアさんは「美しい思い出です」「彼は親切で善良で、とても情熱的でした。彼が去ったとき、私は息子を失ったような気持ちになりました」と振り返った。