■理想の存在から「万能の神」へ

 河東(今の山西省<Shanxi>)の解州(Haizhou)出身の関羽は、衰えた漢朝の復興を目指す劉備(Liu Bei)が旗揚げした時から従い、敵将を次々と倒した歴戦の猛将。天下の実権を握っていた曹操(Cao Cao)が劉備を破り、劉備と生き別れとなった関羽は一時曹操に身を寄せた時も、劉備への恩義を忘れず曹操からの褒美をすべて返し、劉備のもとに帰参した。無敵の強さを誇り、あるじのために尽くす関羽は民衆にとって理想の存在となり、歴史が下って明代や清代に小説「三国志演義」が広まると、「忠義の英雄」として信仰の対象となっていく。道教や仏教系の寺院では、「美鬚公(びぜんこう)」といわれた関羽そのままに黒ひげをたくわえた像が祭られた。

 清代では孔子を祭る「文廟」と関羽を祭る「武廟」がセットになって各地に設けられ、ついに儒教の祖・孔子と肩を並べることに。農村では雨乞いのため関帝廟を拝むこともあり、「万能の神」になっていく中で、「武神」が「財神」の役割も兼ねたとされる。また、関羽の出身地・解州は中国有数の塩の生産地で、関羽は劉備と出会う前は塩商人だったという説がある。清代になると塩は国の税収の主力財源となり、塩商人たちが自分たちの守護神として関羽を積極的にPRした。それも財神のイメージにつながったといわれる。

 そうした万能の神・関羽は中華圏の人々にとって、互いの主義主張や所属する国家を超えた存在だ。

 仲が悪かったり疎遠だったりする人同士が、同じ趣味を持つと分かって一気にうち解けるということは日常でもままあることだが、中華のルーツを揺さぶる関羽は民族全体を取りまとめる力を持っている。先の「両岸関帝文化フェスティバル」主催者たちも「関帝の縁(えにし)で中華を結ぶ」をスローガンとしている。

 関羽が死んだ西暦220年から、来年で1800年。時を超え、関羽は今も「活躍」を続けている。(c)東方新報/AFPBB News