シナトラの「マイ・ウェイ」発売50周年、名声の陰に消えた作曲家
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■「ポール・アンカ氏に感謝」
アンカは、わずかな料金で使用権を得ると、シナトラに歌ってもらうためにさらに手を加えた。シナトラは当時、ショービジネス界を引退する意向をアンカに伝え、もう1枚アルバムを制作したら引退すると話していた。
しかし、アンカはシナトラの固い決意を徐々に解きほぐし、シナトラは1968年末、「1テーク」でレコーディングを終えた。
数か月後にリリースされた「マイ・ウェイ」は大ヒットを飛ばし、英国のヒットチャート「トップ40(Top 40)」に75週間ランクイン。記録は今も破られていない。その後、エルビス・プレスリー(Elvis Presley)や「セックス・ピストルズ(Sex Pistols)」のシド・ビシャス(Sid Vicious)、ロビー・ウィリアムス(Robbie Williams)、フリオ・イグレシアス(Julio Iglesias)らが次々とカバーした。
現在、「マイ・ウェイ」は世界中の葬儀場で最もよく聞かれる曲にもなっている。だが、シナトラが歌うのを最初に聴いたときは複雑な心境だったとルボー氏は言う。「まずはうれしかった。シナトラだもの。でも、自分が情けなくなった」。名曲であることに気付けなかったからだという。
「原曲の『いつものように(Comme d’Habitude)』の直訳だったら、実際の1%も成功しなかっただろう」「だからポール・アンカ氏には感謝している」。ルボー氏はそう言って笑った。(c)AFP/Philippe GRELARD and Fiachra GIBBONS