【10月31日 AFP】26日のラグビーW杯日本大会(Rugby World Cup 2019)準決勝では、ニュージーランド伝統の「ハカ(Haka)」にイングランドがハーフウエーラインを越えて対抗し、罰金を科されたが、過去にはハカを無視したり、自分たちで踊ってみたりと、各チームが独創的な方法を編み出してマオリ(Maori)古来の戦いの舞に立ち向かってきた。

 ここでは、その中でも特に印象深い七つを紹介する。

■ハカにはハカを――2008年、マンスター

 2008年、英国遠征を行ったニュージーランドを迎え撃ったアイルランドのクラブチーム、マンスター(Munster Rugby)は、ハカへのユニークな対抗策を取った。自分たちもハカを踊ったのだ。

 マンスターにいた4人のニュージーランド出身選手が歩み出て、オールブラックス(All Blacks、ニュージーランド代表の愛称)の選手より先にハカを始めると、観客は大喝采。これが功を奏したのか、チームは1978年の金星を再現する寸前までいったが、ウイングのジョー・ロコココ(Joe Rokococo)に決勝のトライを許し、16-18で敗れた。

■微動だにせず――2008年、ウェールズ

 同じく2008年の遠征では、ウェールズ代表も斬新な対策を披露した。彼らがやったのは、ハカが終わった後も動くのを完全に拒否することだった。

 その結果、両軍のにらみ合いは数分にわたって続いた。主審は両チームの主将に試合を始めようと促したが、どちらもまばたきすらしない。そうした緊迫ムードの中で始まった試合だが、開始前の茶番はウェールズの助けにはならなかったようで、チームは9-29で大敗した。

■完全無視――1996年、オーストラリア

 1996年のニュージーランドとオーストラリアの対抗戦、ブレディスロー・カップ(Bledisloe Cup)では、オーストラリアが相手の挑戦状に向き合おうとせず、ハカを完全に無視してウオーミングアップを続けるという手に打って出た。オーストラリアは1991年にも、デビッド・キャンピージ(David Campese)が列を離れ、ハカを無視してキック練習を始めていたが、これを思い起こさせるものだった。

 すると、自分たちのホームで無礼なことをされたと感じたオールブラックスは、かつてないほどに大激怒。これが発奮材料になったのか、43-6でオーストラリアを粉砕した。豪主将のジョン・イールズ(John Eales)は後に、あのときの行動が一番悔いが残ると振り返っている。

■くさび形で前進――1989年、アイルランド

 ハカに初めて真正面から対抗した例として知られるのが、1989年のアイルランドで、このときの彼らは逆V字のくさび形の陣形を取ってオールブラックスへにじり寄り、両チームの主将が目と鼻の先で向き合うところまで近づいた。

 ハカが終わると両者は言葉を交わしたようで、それを受けてアイルランド主将のウィリー・アンダーソン(Willie Anderson)は、跳び上がるようにして満員のホームの観客をあおった。しかしこうした努力もむなしく、試合はニュージーランドの23-6の快勝に終わった。

■W杯でもくさび形――2011年、フランス

 ニュージーランドで行われた2011年のW杯決勝では、今度はフランス代表が、多少足並みは乱れ気味だったが、同じようにオールブラックスに向かって前進し、試合をさらに盛り上げた。

 フランスはこれで2500ポンド(約35万円)の罰金を科され、さらにこの出来事をきっかけに、ハカの間は両チームの距離を空けるという決まりもできた。フランスもまた7-8で惜敗し、試合に勝つことはできなかった。

■殴り合い上等――1997年、イングランド

 ハカへの対抗策が、実際の殴り合いに発展しそうになったのが1997年で、このときはイングランドの血の気の多いフッカー、リチャード・コッカリル(Richard Cockerill)がニュージーランドのノーム・ヒューイット(Norm Hewitt)の目の前に行き、ヒューイットがハカを踊っている間ずっと何事かをつぶやいた。

 二人は額をぶつけ合うようにして向き合っていたが、イングランドの主将が両者を引き離し、ヒューイットを押し戻して何とか無事に試合が始まった。

■食い気味に自分たちも――2003年、トンガ

 2003年のW杯オーストラリア大会では、トンガがニュージーランドのハカとほぼ同時に自分たちの戦いの踊り「シピタウ(Sipi Tau)」を披露し、相手のお株を奪うパフォーマンスで観客を喜ばせた。

 本来はハカが終わるまで待ってからお返しをする予定だったそうだが、相手が「カ・マテ(Ka Mate)」と口にした瞬間、トンガの選手も同時にシピタウを始めていた。(c)AFP/Richard CARTER