■鬼の「ある日本人」

 1964年東京五輪で金メダルに輝いた日本代表「東洋の魔女」の活躍は、中国に影響を与えた。中国はチーム強化のため、日本代表監督だった「鬼の大松」こと大松博文(Hirobumi Daimatu)氏を招き、1965年4月から1か月間指導を受けた。

 当時の中国代表は昼寝をした後に数時間練習するのが日課だった。大松氏は毎日10時間、深夜まで特訓を続けた。医者や救急車を待機させ、傷だらけで意識がもうろうとしている選手に「やる気がないなら田舎へ帰れ!」と容赦なく罵声を浴びせ、しごき上げた。選手たちは「毛沢東(Mao Zedong)精神で武装した私たちが、日本人に負けるわけにはいかない」と歯を食いしばった。

 大松氏は自著の中で「日本人より背が高く、体も柔らかい。国家のために自分を投げ出す信念と、自ら学ぶ意志がある」と語っている。「最高の素材」にほれこみ、選手の国籍など関係なく、全身全霊で指導を続けた。そして、大松氏の教えを受けた当時の代表選手・袁偉民(Yuan Weimin)氏が1980年代に監督なり、黄金時代をもたらした。

 低迷する中国が海外の教えを吸収し、世界に羽ばたいた――。中国バレー女子の軌跡は、世界が驚く成長を遂げた中国の「奇跡」と重なっている。(c)東方新報/AFPBB New