【9月30日 東方新報】中国の2018年のGDP(国内総生産)が1952年と比べて175倍(価格変動分を除く)に達したことが発表され、中国メディアは「貧しく弱い国から世界第2位の経済大国へ」「『中国の奇跡』に世界が注目」と称賛している。世界のGDPに占める割合も2018年は16%近くに達した。しかし、清王朝が最盛期を迎えていた1820年頃、GDPは世界の33%を占めていたという。長い歴史で見れば「本来の位置」に戻りつつあるともいえるが、なぜ「復活」を成し遂げられたのか。

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 中華人民共和国の建国から3年後の1952年、GDPはわずか679億元(今のレートで約1兆280億円)で、農業の割合が50.5%を占めていた。今ではサービス業がGDPのほぼ半分となり、世界第一の工業国でモノの貿易と外貨準備高もトップとなった。

 急成長を実現した転機は、1978年から始まった経済の自由化を進める「改革開放政策」だ。農村では、ノルマ以上の生産物を自由に処分できる「生産請負責任制」が導入され、富農を意味する「万元戸」という言葉が生まれた。

 外国資本を導入するモデル地区「経済特区」を中心に、製造業も活発になっていった。関税を低くして海外から資本や部品を輸入して、工場で組み立てて海外に輸出する。賃金が安く、豊富な労働力が強みだった。2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟して以降、中国は「世界の工場」と呼ばれるようになる。

 2008年の北京五輪が終わると、「中国バブルがはじける」という推測が各国で広まった。さらに世界を揺るがす「リーマン・ショック」も発生。しかし、中国政府は4兆元(当時約64兆円)を公共事業に投入する計画を打ち出し、中国人民銀行も大胆な金融緩和を行って苦境を乗り切り、むしろ「中国経済は不死鳥」という印象を世界に与えた。2010年には日本のGDPを抜いて世界第2位の経済大国に。国内の消費力が旺盛になり、世界の企業が中国で商品を懸命に売ろうとし、中国は「世界の市場」に変貌を遂げた。