物議を醸した指導者らの遺体、埋葬場所が悩みの種に
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【9月26日 AFP】物議を醸した指導者の遺体をどこに埋葬するかということは、長年各国の悩みの種となってきた。
スペインの独裁者フランシスコ・フランコ(Francisco Franco)総統もその一人だ。同国の最高裁判所は24日、仰々しい霊廟(れいびょう)に埋葬されていたフランコ氏の遺体を、質素な一族の墓に移動させる政府の計画について認める判断を下した。
遺体の安置場所が問題になった他の指導者を一部まとめた。
■旧ソビエト連邦:ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)
1953年に死去したスターリンの遺体は、モスクワにあるウラジーミル・レーニン(Vladimir Lenin)の霊廟に安置された。
その8年後、政府が「非スターリン化」を進める中、遺体はクレムリン(ロシア大統領府、Kremlin)近くの質素な墓地にひそかに移された。この墓は今も、熱烈な共産主義者らを魅了している。
■アルバニア:エンベル・ホッジャ(Enver Hoxha)
40年にわたりアルバニアで共産主義独裁体制を敷いたホッジャは1985年に亡くなった。国民的英雄の遺体は殉教者墓地(Martyrs' Cemetery)に埋葬された。
だが、共産主義崩壊後の1992年、遺体は掘り起こされ、首都ティラナ郊外の公営墓地に移された。ホッジャ氏に敬意を表して建設されたピラミッド形の霊廟は、しばらくの間、文化施設として利用されていたが、今は廃虚となっている。
■ルーマニア:ニコラエ・チャウシェスク(Nicolae Ceausescu)
共産主義下で独裁体制を敷いたニコラエ・チャウシェスク元大統領と妻のエレナは、1989年に始まった騒乱をきっかけに失脚。特別軍事法廷で死刑を宣告され、その日のうちに銃殺された。
墓が荒らされる可能性を懸念し、遺体は夜中、偽名が彫られた十字架の下にひそかに別々に埋葬された。
2010年、遺体がチャウシェスクではないとの疑惑を打ち消すため墓が掘り起こされ、二人の遺体は首都ブカレストのゲンチェア(Ghencea)墓地に移された。今回は同じ墓に葬られた。
チャウシェスクの生誕100年を迎えた2018年1月、共産主義時代を懐かしむ人々が赤い大理石でできた同氏の墓を訪れた。