■テルアビブの気候に適応

 バウハウスは1920年代に始まったモダニズム運動の一部を形成していたが、1933年にナチスに追放された。こうした過去と決別するため、機能美を追求し、ガラスや鋼、コンクリートを使った。

 だが、ドイツの気候に合う建物を造った先人とは異なり、テルアビブに定住した建築家らは地元の気候に適応する必要があった。ガラスの使用を抑えて熱を遮断し、海風を取り入れるためバルコニーを設置した。

 バウハウスセンターを訪れる観光客はここ数年3倍に増えており、毎年数百万人が訪れるエルサレムやその聖地よりもホワイトシティーが魅力的な目的地になっていると、グロス氏は話す。

 ただ、こうした建物の改修には8~10年必要で、「維持や修繕は難しい」とグロス氏は指摘する。1930年代に造られた建物の大半は個人が所有している。だが、修繕のための公的資金はなく、修繕するかどうかは所有者の善意によっているという。

■シオニズムの精神

 ホワイトシティーセンター(White City Centre)は2015年、「ホワイトシティーの歴史的建造物の保存」を目的にテルアビブ市議会とドイツ政府によって設立された。

 同センターのコンテンツマネジャーである建築家のシャロン・ゴランヤーロン(Sharon Golan Yaron)氏は、バウハウスの影響が顕著だが、他の建築様式もテルアビブの街並みの一部となっていると話す。

 ゴランヤーロン氏は、当時の建築家らは新しい都市での建築は新たな社会の創造の一部だと考えており、社会主義シオニズムの理念に沿って仕事をしていたと指摘する。1948年のイスラエル建国でそれは頂点を迎えたという。

「シオニズムが形を持って現れたのだった」 (c)AFP/Alexandra Vardi