【7月29日 東方新報】国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)が、李氏朝鮮時代に建立された「韓国の書院」(Seowon、Korean Neo-Confucian Academies)を世界文化遺産(World Heritage)に登録したことについて、中国から「書院は中国の文化」「また中国の歴史遺産が韓国に奪われた」と反発が出ている。世界遺産をめぐる中韓の対立はこれが初めてではない。「文化とナショナリズム」の問題は、日本も無関係とはいえないテーマだ。

「韓国の書院」は16世紀に建てられた白雲洞書院など9か所で構成される。儒教が盛んだった当時の朝鮮で、官製の学校と異なり、地域社会が設立した私設学校だ。一般的に、教育機関としての書院は7世紀の中国・唐の時代に始まり、16世紀に朝鮮半島(Korean Peninsula)へ伝わったといわれている。先代の賢人を祭る祠堂(しどう)と、儒学を学ぶ書斎を兼ね備えるのが基本的構造で、朝鮮半島の書院もこれにならっている。

 中国書院学会副会長の鄭洪波(Zheng Hongbo)氏は「李氏朝鮮の書院は、中国の書院制度を受け入れたことで発展を遂げており、その影響は実に大きい」と指摘。「朝鮮独自の部分もあるので世界遺産登録に反対はしないが、韓国の書院がアジア全体の書院文化を体現することはできない」とくぎを刺す。

 インターネット上の意見は、もっと激しい。

 2005年に韓国が申請した「江陵端午祭」が無形文化遺産に登録された際、中国メディアやネット上で「中国発祥の文化・端午節が韓国に奪われた」と批判が起きた。それだけにネットでは「今度は書院文化まで乗っ取られた」「本家である中国の書院はまだ世界遺産になっていないのに」という意見が相次いだ。

 中国の書院については、白鹿洞書院(Bailudong Shuyuan)を含んだ廬山国立公園や、嵩陽書院(Songyang Shuyuan)を含んだ鄭州(Zhengzhou)の歴史建築群が世界遺産に指定されている。だが、「中国の書院」という形では登録されていない。世界遺産は1か国につき一度に2件しか申請できず、2件を申請する場合も1件は自然遺産の申請が求められている。文化遺産の候補は、申請段階で「順番待ち」を余儀なくされる。

 韓国からの反論もある。「文化の起源論争をすれば、きりがない。仏教関係の遺産はインド以外、申請できなくなるではないか」

 その理屈でいえば、中国で仏教彫刻の石窟として名高い「龍門洞窟」や、チベット仏教の聖地・ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群などが世界遺産に登録されたことはどうなのか、と議論することも不可能ではない。そして中国人の多くは「外来文化を独自に発展させたのだ」と反論するだろう。

 日本の政治家や文化人が中国を訪れ、日中友好イベントに参加すると、「日本と中国はともに漢字を使っている民族。同じ文化を共有する間柄として仲良くしていきましょう」とあいさつすることをよく見かける。こういう時、中国人は内心、「同じ漢字って…。中国人が発明した漢字を日本人が使っているんでしょう?」と思っており、親しい日本人に実際にそう打ち明ける。

 日本の幕末から明治期において、福沢諭吉(Yukichi Fukuzawa)や西周(Amane Nishi)ら日本の知識人が西洋の政治制度や文化を吸収・翻訳し、「自由」「哲学」「主観、客観」などの言葉を考案し、東アジアに広まっていった。

 優れた文化は各地に広がり、そして発展を遂げて帰ってくるものだ。文化をナショナリズムの道具とみなすか、国境や民族を超えて、手を結びあえるインターナショナルなツールとするか。それは一人一人の考えに委ねられている。(c)東方新報/AFPBB News