■ナチスのロケット専門家 

 記録によれば、アポロ計画に携わった人の数は40万人に及んだという。だが、貢献度の大きさでは2人の人物が群を抜いている。

 1961年、当時のジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)米大統領はリンドン・ジョンソン(Lyndon Johnson)副大統領に、宇宙開発でソ連に先んじるよう要請した。ジョンソン副大統領は、米航空宇宙局(NASA)の宇宙計画の創始者、ベルナー・フォン・ブラウン(Wernher von Braun)氏に助力を求めた。

 かつてナチス・ドイツ(Nazi)時代にナチス党員だったブラウン氏は、第2次世界大戦(World War II)中、英ロンドンの爆撃に使用されたV2ロケットを開発した。

 戦争末期、米軍に投降したブラウン氏は、自身が率いる最高水準の技術者100人のチームとともに、秘密の「ペーパークリップ作戦(Operation Paperclip)」の一環で米アラバマ州に移送された。

 ブラウン氏はジョンソン副大統領に対し、米国は大きく後れを取っているが、大型打ち上げロケットの開発に今すぐ取りかかれば、ソ連(当時)に先んじて人間を月に送り込むことができるかもしれないと話した。ケネディ大統領はその年のうちに議会演説で、1960年代の終わりまでに「人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という有名な宣言をすることになった。

 8年後、リチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領の時代に、その目標は達成された。並々ならぬ国家的努力が報われたのだ。

 アポロ計画について米議会がほぼ無制限ともいえる予算を認めたおかげで、万事が迅速に進んだ。1968年10月から1969年5月にかけて、4回の試験ミッションが実施された。アームストロング船長は1968年12月、11番目のミッションを指揮するために選任された。

 アポロ11号の打ち上げまで残り数か月となった時点で、アームストロング船長はオルドリン飛行士に、船長の特権で自分が最初に月面に降り立つことになると伝えた。

 オルドリン飛行士は後に自伝の中で「私はそれから数日間、沈黙を守った。その間ずっと、ニール(アームストロング船長)に対して腹を立てないように努めていた」と回想している。「結局のところ、彼は船長であり、つまりは職場の上司だった」