【6月12日 AFP】南米でビデオジャーナリストとして5年間仕事をした経験から気付いたのは、この仕事には適度なユーモアが必要だということだ。紛争や災害、政治といった「重い」話題の消化を促すだけではなく、ちょっとしたつまずきで駄目になってしまう夢のような仕事をやり遂げる場合にも。

 南米アマゾン(Amazon)で初めて転倒したとき、自分の足首が弱いことに気が付いた。2年前の出来事だ。内陸の湖で巨大なピラルク(重さ100キロ!)を釣り上げた漁師たちの撮影を終え、急いでボートに戻る途中のことだった。

ブラジル・西アマゾンで、網にかかった体長2.5メートルの生きたクロコダイルを引き上げる漁師(2017年9月20日撮影)。(c)AFP / Carl De Souza
 
ブラジル・西アマゾンで、釣ったピラルクを船着場に引きずり上げる漁師(2017年9月20日撮影)。(c)AFP / Carl De Souza

 上機嫌で歩いていた私は、次の瞬間、地面に突っ伏していた。その後の移動では、同僚のカメラマンたちが三脚を運んでくれた。

 この地域を再び取材に訪れたときにも転倒してしまった。記者やカメラマンたちと一緒にブラジル北部の辺境の地、アルタミラ(Altamira)で先住民の地権と違法な森林伐採について取材していたときのことだった。今回は準備万端だと思っていた。丈夫なトレッキングブーツに入念に選んだ荷物、前回の失敗から学んだ2年分の知恵もある。

 だが、それは間違いだった。

 アルタミラからボートで4時間かけて到着した先住民のアララ人の土地に足を踏み入れてから5分後、私は小さな川船から下りる地元住民たちを撮影していた。そのうちの何人かは、料理するために運んで来た死んだサルを船から降ろしていた。小説のネタになりそうな光景に興味を引かれ、良いショットを求めて、急いでさまざまなアングルから撮影した。すると、ポキッという音が聞こえた。自分の足首か?と思った瞬間、私はぬかるみに倒れていた。同僚が私を引っ張り上げ、カメラも拾い上げてくれた。私のカメラは回り続けていて、屈辱的な瞬間の私を真正面から捉えていた。

 いくつもの手が差し出され、私を土手に引き上げてくれた。木陰に座り、取材チームの案内役が来るのを待った。彼はバイクでやって来て、地元のクリニックに連れて行ってくれた。

ブラジル・パラ州アルタミラに向かう道路を走るバイク(2019年3月10日撮影)。(c)AFP / Mauro Pimentel

 アマゾンに住む他の先住民と同じく、アララ人は伝統的なものと現代的なものを取り合わせた生活を送っている。村には政府が建てた学校やクリニックがあり、若者はスマートフォンで音楽動画を見ているが、その一方で狩りに行くことも好む。夜間はディーゼル発電機が3時間ほど電気を供給してくれる。大半の人々は欧米風の服を着ているが、頭にオウムの羽を着けている人もいる。

ブラジル・パラ州アララ人居住区でバナナを採る男性(2019年3月14日撮影)。(c)AFP / Mauro Pimentel

 住民たちはクリニックを誇りに思っていた。そこでは、政府から派遣された看護師が住み込みで働いていた。捻挫した足首を冷やして癒やすための氷がまったくなかったため、彼女はゴム製の手術用手袋に冷たい水を入れて足に当てがってくれた。好奇心旺盛な子どもたちが集まって来て離れない。しばらくして私が水の入ったゴム手袋の端を持ったまま彼らに向かって投げるふりをすると、キャーキャー大喜びした。

 その夜、自分にあだ名を付けられたことを知った。「ぺクエブラード」。ポルトガル語で「折れた足」という意味だ。「折れた足はどこ?」私の姿がしばらく見えないと、彼らは同僚たちにそう聞くようになった。

 幸運なことに、けがをしたのは取材旅行の終盤だった。その村が最後の取材先だ。それでもやはり、仕事には大きな支障が出た。カメラと三脚を抱えながらでこぼこした地面を片足で跳ねながら歩き回るのは大変だった。取材チームで森にバナナを採りに行く老人の後について行ったのだが、同僚たちにとんでもなく後れを取った。仕方がないので、その辺にいた子どもたちの一人に手を貸してもらった。

ブラジル・パラ州アララ人居住区で遊ぶ子どもたち(2019年3月14日撮影)。(c)AFP / Mauro Pimentel

 その日の午後、ちょっとした騒動があった。私たちがクリニックで静かに看護師と話をしていると、突然、村中の人々が一目散に森に駆け込み、四方八方に散らばって行った。男性たちは、やりや銃を持っている。皆、興奮しているようだった。同僚たちはそのうちの一つの集団を追った。私は転倒した自分を呪いつつ、片足でぴょんぴょんと跳ねながら別の方向に行き、途中で同僚たちに合流するか、戻って来る集団と出くわすことを期待した。その間、美しい森の景色を映像に収めた。

 だが、本道からいくつもの道が枝分かれしているのが見え、期待は打ち砕かれた。どの道に進めばいいのか見当がつかず、追い付く自信もなかった。自分を哀れに思いながら、美しいチョウのクローズアップ映像や、ヤシの木からぶら下がっているココナツのような珍しい果物、木々の隙間から差し込んでくる太陽の光などを撮影した。

ブラジル・パラ州アララ人居住区にある伝統的な家屋にいたサル(2019年3月13日撮影)。(c)AFP / Mauro Pimentel

 少したつと、人の声や足音が聞こえたため、急いで本道に戻った。男性らは手ぶらで戻って来たが、なぜか満足そうな顔をしている。その数分後、女性や子どもたちが続いてやって来た。皆、満面の笑みを浮かべながらイボイノシシの肉の塊を抱えていた。女性2人は、肉をくくりつけた棒の両端を肩に担いで歩いていた。イボイノシシの脚の肉を抱えた子どもが、私を見てにんまりした。

 彼らは、獲物の肉を分けてくれようとしたが、行き違いがあり、私たちは手に入れることができなかった。今でもあの肉のことを考えると、よだれが出てくる。

ブラジル・パラ州アララ人居住区にボートで戻るアララ人(2019年3月15日撮影)。(c)AFP / Mauro Pimentel

 その数日後。ボートに4時間乗り、飛行機を3回乗り換えて、私はブラジル・サンパウロ(Sao Paulo)の自宅に戻った。上司の強い勧めにより、病院で足を診てもらった。このときにブラジルの複雑な医療制度を目の当たりにしたのだが、それについては別の機会に書くことにする。

 担当医師による診断は、足首の剥離骨折だった。だがそれほど深刻な状態ではなかったのだろう。医師は、そのまま職場に復帰させてくれ、欠勤にもならなかった。

 転倒したのは取材の最後の方だったため、インタビューや、驚くべき規模で進んでいるアマゾンの森林破壊といった欠くことのできない映像はすでに撮り終えていた。そのため、転んだこと自体が今回の取材における自分の仕事に大きく影響したわけではない。だが最後に訪れた村では、望んでいた撮影やインタビューをすべてこなすことができず、仕事に影響が出たことは確かだ。その一方で、足をけがしたことによって言葉の通じない人々と親しくなることもできた。子どもたちは初めのうち、大きなカメラを手にした見知らぬ外国人を見て泣きながら逃げて行ったのに。私のけがはアマゾンの人々に、人間は皆、同じだということを気付かせたのだと思う。

このコラムは、ブラジル・サンパウロ在住のビデオジャーナリスト、ヨハネス・マイバーグ(Johannes Myburgh)氏が執筆し、2019年6月4日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。