【4月9日 AFP】私はこの冬、米ニューヨークで最高のショーを目にする幸運を得た。それは、ブロードウェー(Broadway)で上演される華やかな芝居やハリウッドの大ヒット映画よりも魅力的だった。44章から成るこの長編には、莫大(ばくだい)な利益を得られると同時に命を落とす危険も高いビジネスの一つ、麻薬取引の世界への扉を開いてしまった恐ろしくも魅惑的な人物たちが登場する。そしてそれは、すべて実話だ。

 メキシコの麻薬王「エル・チャポ(El Chapo)」ことホアキン・グスマン(Joaquin Guzman)被告(61)に対する裁判がこの冬、ニューヨークで行われた。彼は麻薬密売や資金洗浄、武器の違法所有で有罪となり、メディアでも大きく取り上げられた。

厳重警備の刑務所から脱走した翌日、メキシコ市の主要バスターミナルの売店に張られていたエル・チャポ被告のポスター。「再指名手配」と書かれている(2015年7月13日撮影)。(c)AFP / Yuri Cortez

 私はこれまで、ベネズエラのニコラス・マドゥロ(Nicolas Maduro)大統領のおいで麻薬密売により有罪判決を受けた男たちから、国際サッカー連盟(FIFA)内の汚職事件まで、ニューヨークでさまざまな裁判を取材してきたが、エル・チャポの裁判が最もシュールで疲労困憊(こんぱい)した。冬のいてつく寒さの中、ブルックリン(Brooklyn)にある連邦裁判所8階にあるブライアン・コーガン(Brian Cogan)判事の法廷に入るため、早朝から何時間も列に並んだことは数えきれない。

 法廷には携帯電話やコンピューターの持ち込みが許されなかったため、紙とペンのみという昔ながらの上品なスタイルで取材に臨んだ。

 そこには、弁護士、検察官、連邦捜査員、ジャーナリスト、ライター、脚本家、一般の傍聴人など大勢の人々がいた。誰もがメキシコの伝説的麻薬王をこの目で見たいと願っていたが、あまりに多くの人々が殺到したため、全員が法廷内に入ることはできなかった。

 公判初日はまさに大混乱の様相を呈していた。法廷内はおろか、審理の様子を映し出すモニターが設置された「あぶれた傍聴人用の部屋」も超満員だった。その二つの部屋の間の廊下にも人があふれていた。

 初日の混乱を教訓にその後、記者など傍聴を希望する人々は、到着したら即リストに名前を記入するシステムが導入され、先着順に法廷に入室できるようになった。

 だがこうした努力にもかかわらず、依然として法廷内に入りきれない記者がいて、皆の到着時間は日に日に早くなっていった。中には、午前9時30分に始まる公判のために、毎回午前1時にやって来るつわものもいた。私の到着時間で最も早かった記録は午前5時30分だ。このときは湯気の立つブラックコーヒーを入れた保温カップを手に、がらがらの地下鉄に乗った。

エル・チャポ被告の公判で検察・弁護側双方の冒頭陳述の日、ブルックリン連邦裁判所の前で待機する報道陣(2018年11月13日撮影)。(c)AFP / Don Emmert

 大きな段ボールを持って深夜に到着した記者もいる。彼は氷のように冷たい歩道にそれを敷き、その上に寝袋を置いて仮眠を取った。いたずら好きの同僚はすかさずその段ボールに、「助けてくれ。僕はこの裁判を最後までやり遂げなければならないんだ!」と書き込んだ。

 雨の日も雪の日もあられの日も、ほんの少し暖かい冬の日差しが差し込んだ日も、動画担当の同僚、ダイアン・ドゥソボー(Diane Desobeau)と支局の写真班は、何時間も裁判所の前にたむろし、被告側の弁護人や検察官、そしてとりわけ夫がその日に着る服を持ってやって来るエル・チャポ被告の妻、エマ・コロネル(Emma Coronel)さんが出入りするタイミングを待った。

エル・チャポ被告の裁判を傍聴するために、ブルックリン裁判所への立ち入り許可を待つ筆者(左)と動画担当のダイアン・ドゥソボー記者(撮影日不明、筆者提供)。(c)Laura Bonilla Cal

 法廷内へのカメラの持ち込みは禁止されていたため、法廷画のスケッチ以外で私たちが入手可能な公判関係の画像はこれだけだった。

 この裁判の警備体制は、米国で行われる通常の公判よりもはるかに厳しかった。ただそれには正当な理由があった。誰もが恐れる麻薬組織「シナロア・カルテル(Sinaloa Cartel)」の元最高幹部であるチャポ被告は、驚くべき方法でメキシコの刑務所から2回脱獄したことがあるからだ。そのため米当局は、同被告がここニューヨークでハットトリックを成功させる可能性を徹底的に排除した。

裁判の閉廷後、警察車両に護衛され、米ニューヨーク・ロウアーマンハッタンにある拘置所へ戻るエル・チャポ被告を乗せた車両。メキシコの重犯罪刑務所から2度脱獄した同被告の公判期間中は厳重警備が敷かれた(2018年10月10日撮影)。(c)AFP / Timothy A. Clary

 私たちはまず1階で、金属探知機を通過しなければならなかった。その列には日々、帰化宣誓式に出席するためにやって来た新たな米国市民数十人も並んでいた。

 法廷の前には2番目の保安検査場があり、そこでは爆発物を嗅ぎ分ける訓練を受けた犬を連れた職員らに迎えられ、再び金属探知機を通過した。このときは靴を脱ぎ、ベルトも外さなければならなかった。

 携帯電話やコンピューターの持ち込み禁止は、米連邦ビル全般の通常の規制範囲内だが、本裁判ではそれが実際の問題により直結していた。なぜなら政府側の証人の一部は、証人保護プログラムの対象となっており、法廷画家でさえ顔を描くことができないからだ。また陪審員らも、エル・チャポ被告やその周辺から復讐(ふくしゅう)されたり賄賂を贈られたりすることのないよう「匿名」扱いで氏名は公表されておらず、彼らの顔の写真撮影や法廷画家によるスケッチは禁止されていた。

 ブルックリン裁判所を毎日のように訪れ、通常は通話機器の持ち込み禁止規定を免除されている数人の担当記者でさえ今回、携帯電話を持ち込むことはできなかった。

 保安検査場と法廷の間には、弁護団が使用する小部屋があった。公判開始から数日後、その部屋の棚に、1800年代後半にメキシコのシナロア一帯を闊歩(かっぽ)していた無法者、ヘスス・マルベルデ(Jesus Malverde)の小像が突然現れた。この人物は麻薬密売人の守護聖人とされ、エル・チャポ被告も崇拝している。

 それをそこに置いた張本人であるエドゥアルド・バラレソ(Eduardo Balarezo)弁護士に聞くと、像はどこからともなく現れたと言い張り、皮肉交じりに「奇跡だ」と言ってのけた。

メキシコ北西部シナロア州クリアカンにある麻薬の守護聖人ヘスス・マルベルデを祭る礼拝堂で売られていたエル・チャポ被告の小像(2019年2月19日撮影)。(c)AFP / Rashide Frias

■多彩な登場人物たち

 木製の壁とピンクの大理石でできたコーガン判事の法廷には、政府に召喚された計56人の証人らが登場し、世界で最も恐れられている麻薬王の中の一人について、その私生活や仕事ぶりを陪審員たちに事細かに語った。

 その間ずっと被告は無表情のままだったが、米リアリティー番組の人気タレント、キム・カーダシアン(Kim Kardashian)さん似のセクシーな妻、エマさんはガムをかんだり黒いロングヘアーを触ったりしながら、被告に向かって投げキスをしたりほほ笑んだりしていた。

ブルックリンの裁判所に到着したエル・チャポ被告の妻、エマ・コロネルさん(2019年2月11日撮影)。(c)AFP / Kena Betancur

 検察当局はまさに津波のように大量の証拠を陪審員らに提示した。30万ページを超える文書類、11万7000点の音声記録、さらには数百点におよぶチャポとその相棒たちの写真や動画などだ。

 私は時々、数千万ドルの税金が投じられるこうした劇場型の裁判が本当に必要なのか疑問に思った。

 だが四半世紀にわたり膨大な量の麻薬を米国に密輸してきた男に有罪判決を下すことは、長年にわたる麻薬との戦いでこれまで一度も名の知れた麻薬王を刑務所へ送ったことのない米政府にとって誇りであることは疑いようがなかった。

 シナロア・カルテルは今も活動を続けており、チャポの息子らを含むそれほど有名でない人物らが組織を率いている。米国からメキシコへの武器密輸も止まっていない。米国人の麻薬使用率は上昇し続けており、入手可能な最新の年間データによると、2017年の過剰摂取による死亡者数は1日当たり192人と過去最悪を記録した。

 一方、国境の反対側のメキシコでは昨年、意図的な殺人の件数が過去最悪の3万3000件に上り、その多くは麻薬密売に関連するものだった。AFPのメキシコ支局も直接被害を受けた。メキシコ支局はニューヨーク支局と連携しながら、シナロアで現地の反応を取材したり、麻薬戦争や政府内の汚職に関する分析を行ったりしている。だが2017年5月、シナロアを拠点とし、AFPにも寄稿していたハビエル・バルデス(Javier Valdez)氏が殺害された。同氏は皆から尊敬されるジャーナリストで、麻薬密売に関する専門家だった。

 この数か月、私が次々と目にしたのは、映画や小説を盛り上げそうなキャラクターたちだ。チャポの腹心だった男たちや元秘書たち、組織のIT担当者やメキシコ市を管轄していた元幹部、会計士、2人のお抱えパイロット、殺し屋、供給源だったコロンビアのコカイン業者…。チャポの愛人の一人が証言中にこらえきれずに泣き出し、チャポの妻があざけりの笑みを浮かべる一幕もあった。麻薬をテーマにしたどんな小説も、この法廷に比べれば面白みに欠けただろう。

 その愛人が、チャポと一緒にメキシコ当局の捜査員から逃れるために、いかにしてシナロアの州都クリアカン(Culiacan)にある屋敷の浴槽の下に隠されたトンネル内を裸で走ったかについて話しながら泣き崩れた日、チャポと妻は2人そろってワインレッドのベルベットのブレザーを着ていた。それはまるで元愛人やその話に耳を傾けている人々に対し、自分たちは一つのチームだとメッセージを送っているかのようだった。

ブルックリンの裁判所を後にするエル・チャポ被告の妻、エマ・コロネルさんら(2019年2月11日撮影)。(c)AFP / Kena Betancur

 チャポの会計士兼パイロットだったミゲル・アンヘル・「ゴルド」・マルティネス(Miguel Angel ‘Gordo’ Martinez)氏は、コカイン密輸は1990年代初頭、「世界で最も稼げるビジネスだった」と法廷で証言した。

「ゴルド」氏は、貧しい家に生まれて小学校さえ卒業していない麻薬王が、いかにしてスイスのクリニックにまで行って若返りの施術を受けられるようになったのかや、アカプルコ(Acapulco)の海に面した邸宅や「チャピート」と名付けられたヨット、メキシコ全31州と首都メキシコ市にある農場、ジェット機4機、大勢の愛人、ライオンやヒョウがいる自分の動物園、そこに見物客らを運ぶ小型列車などを所有できるようになったのかについて語った。

 この公判で最も悲喜劇的な部分の一つだったのはゴルド氏が、チャポと不仲になった後に3度も殺されかけたという話をしたときだった。チャポの配下の殺し屋が最初は刃物で、次に野球用バットで、続いて同氏が服役していたメキシコの刑務所内の監房に手投げ弾を投げ込んで殺害しようとした。さらに最近の「攻撃」は不気味だった。チャポはメキシコ伝統音楽を演奏する楽団「マリアッチ」を雇い、夜通し「一握りの土」というセレナーデだけを20回も演奏させた。その曲はこんな歌詞だ。「この世界に起きたことは、何も記憶に残らない。私が死んだら持っていくのは、一握りの土だけ」。どうやらこれは、チャポが考えたブラックユーモアのようだ。この曲はチャポのお気に入りの一つで、それを使っては自分の元用心棒に、お前が生きていられるのはあと数日だけだというメッセージを送っていたのだ。ゴルド氏は3度殺されかけても死には至らなかったが、肺と胃に重傷を負い、彼が土に返るのも時間の問題のように思えた。

 証人たちの中でも特に人々を驚かせたのは、かつてエル・チャポ被告に最も多くのコカインを供給していた人物、フアン・カルロス・「チュペタ」・ラミレス(Juan Carlos “Chupeta” Ramirez)氏だろう。彼は、警察の手を逃れるために顔や耳に無数の整形手術を施していた。法廷では、チャポの支援を受けて米国に400トンを超えるコカインを密輸したことや、150人もの人々の殺害を命じたこと、そして自分の逮捕後、コロンビア当局に10億ドル(約1110億円)もの資産を押収されたことなどを証言した。チャポの麻薬取引の規模が真に明らかになったのは、彼の証言のおかげだった。

エル・チャポ被告の裁判で陪審員らに示された、コロンビアの麻薬王フアン・カルロス・「チュペタ」・ラミレス氏の整形手術を受ける前(左)と後(右)の写真。ブルックリン連邦裁判所提供(撮影日不明。2018年11月29日提供)。(c)AFP

■ファン

 米国では市民は通常、自由に公判を傍聴できるが、チャポの裁判は、多くの麻薬密売人たちを触発してきた男をぜひとも見たいという風変わりな人々を引き付けた。

 その中にはシナロア出身だが、米サンフランシスコで20年以上暮らしているというカップルもいた。彼らは昨年12月、自分たちの11回目の結婚記念日を機に公判の傍聴を決意。2人の特別な日を祝うために、これまで多数の殺害を命じ、敵対する麻薬密売人らに対しては自ら激しい拷問を行った末に処刑してきた男を見ようと、午前4時に列に並んだ。だがチャポ被告に夢中になった彼らは、12月に傍聴した数回の公判だけでは満足しなかったようだ。年が明けて1月、自分たちがいることでチャポ被告が「元気づく」ことを願いつつ、再び公判に足を運んだ。

 またある日、傍聴のための列に並んでいると、チャポ被告によく似た人物に遭遇した。メキシコ人俳優のアレハンドロ・エッダ(Alejandro Edda)さんだった。彼は米ネットフリックス(Netflix)のドラマシリーズ「ナルコス:メキシコ編(Narcos: Mexico)」でチャポ被告役を演じており、彼のしぐさや癖を研究するために実際に見てみたいと思っていたようだ。

 法廷内でチャポの弁護人の一人がエッダさんを指さすと、チャポ被告は彼に向かって笑顔で手を振りあいさつした(だが身長1メートル60センチの麻薬王は後で弁護人らに、エッダさんの身長があれほど低いとは思わなかったと話したという)。

ブルックリン連邦裁判所に姿を見せたメキシコ人俳優のアレハンドロ・エッダさん(2019年1月30日撮影)。(c)AFP

 別の日、私は麻薬密売で服役したことがあるという男性の隣に座った。彼は、チャポ被告は策略の犠牲になったのだと主張した。

 キリスト教福音派の女性が、傍聴に来たこともあった。彼女は聖職者用の黒い上着にカトリック教会風の襟、それにスカートとハイヒールブーツを身に着けていた。聖書を絶えず持ち歩き、法廷内のピンク色のカーペットの上に膝をついてチャポ被告のために祈っていた。記者らは彼女のことを「牧師様」と呼んだ。

 裁判が終わりに近づくと、私はもう見るべきものはすべて見たと思い、陪審員らが評決に至るのを待ちながらスローモーションのように過ぎた日々を思い返していた。そんなとき、ある男性と言葉を交わした。彼は最初、保安官らに対して自分はチャポ被告の親戚だと話していたが、その後、彼の友人だと私に打ち明け、さらに数分後には手錠をかけられて連行されてしまった。この男性はスペイン人で、嫌がらせや脅迫などで複数の逮捕状が出ていた。聞くところによると、本国に送還されるということだった。チャポ氏の弁護人の一人、ジェフリー・リットマン(Jeffrey Lichtman)氏に彼は何者なのかと聞いてみると、そっけなく「偽物だ」とだけ答えが返ってきた。

メキシコ・モレロス州ヒウテペックの衣装工場で撮影された、エル・チャポ被告のマスク(2015年10月16日撮影)。(c)AFP / Ronaldo Schemidt

 休廷中、チャポ被告の弁護人たち(皆、刑事事件の経験が豊富な弁護士だ)は、裁判所内のホールで記者たちとざっくばらんに話をしてくれていた。結局、私たちは、陪審員らが評決に至るまでの6日間に35時間待たされた。これほど長い時間を費やしたので、私は何一つ見逃したくなかった。そのためいったん裁判所に入ったら、法廷の外に設けられた警備区域の外側には一歩も出なかった。

 緊張が最高潮に達したときに誤解は起きがちだ。私の同僚が検察局から送られてきたメールの内容を勘違いし、「評決が出た!」と叫んだのだ。記者たちはまさに雪崩のように法廷に向かう階段に殺到した。靴を履いていない者もいれば、紙や鉛筆を持っていない者もいた。ある2人組は携帯電話をそれぞれごみ箱とベンチの下に投げ入れ、息を切らして法廷内に駆け込んだ。

 だがそれは、誤報だった。同僚はこの1件でなんのとがめも受けなかったが、他の記者たちに大いにからかわれた。

 ついに最後の審判の瞬間が訪れたとき、私の心臓は口から飛び出しそうだった。8ページにわたる評決文が今まさに読まれようとしていた。法廷内にいた私の5メートルほど先にはチャポ被告が、また私のほぼ真横にはエマ夫人がいた。彼女はエメラルドグリーンの7分丈ジャケットを着ていた。

 これは希望の色か、と私は思った。それとも金銭の色か。

 すると彼女は、隣に座っていた記者の方を向き、こうささやいた。「有罪って、英語でなんて言うの?」

メキシコ警察に連行され、米国に移送されるエル・チャポ被告(中央)。メキシコ・シウダフアレスにて(2017年1月19日撮影)。(c)AFP / Ho

このコラムは、米ニューヨークを拠点としているラウラ・ボニーヤ(Laura Bonilla)特派員が執筆し、2019年2月22日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。