個別のケースを分析すると、一部の学生は社会とのつながりが無さすぎることが分かる。生まれ育った家から遠く離れた大学にはるばるやって来て、クラスメートや先生との関係がまずくなると、どこに助けを求めたらよいのかわからない。精神的な問題の場合、自ら進んで医師の所に行って助けを求めることもしない。問題が長期化すれば、解決の糸口は遠のくばかり、命を絶つという極端な方法で終わらせようとする。個人にとっても、社会にとっても、巨大な対価を払うことになるのだ。

 多くの学校は学生の精神的な問題を思想教育と同レベルでとらえ、学生の異変に気付いても、学生を教務室に呼びつけ、簡単な会話をした後、上から目線で大所高所から道理を説いて終わりだ。このような方法では、精神的な問題は解決しない。学生によっては、「理屈なんかは分かっている」と逆に不満を募らせ、胸のしこりがますます取れなくなる。

 学校は、心の健康教育の最前線であると同時に、問題解決の最後の防波堤でもある。若者の精神的問題を解決する過程の中で、個を重んじた対応を行い、画一的な対応をするようなことがあってはならない。「問題のある学生」を公開し、呼びつけるなどあってはならない。「個」の尊重と保護をもっと大切にし、個人対個人で、細やかで騒がしくない対応をできないものか。

 国外と比較すると、中国の大学生の精神的疾患を見つける制度は、表面的には健全だ。しかし、精神的疾患と聞くと依然、「恥ずかしいこと」ととらえる傾向があり、甚だしいケースだとカウンセリングや治療を拒絶する人もいるくらいだ。

 先進国の経験によると、「病を未然に防ぐ」こそが最も重要なことで、精神衛生の普及に大いに力を入れ、「心の病」の治療を健康増進の一部としてとらえるべきだろう。これは長く時間のかかる仕事であり、避けては通れない問題だ。(c)東方新報/AFPBB News