【6月25日 AFP】サッカーW杯では相手選手にかみついたルイス・スアレス(Luis Suarez)、大会前に強制送還されたロイ・キーン(Roy Keane)、ラフプレーで相手を気絶させたハラルト・シューマッハ(Harald Schumacher)ら、多くの選手が問題を起こしている。そこでAFPは、W杯の歴史に残る悪童11人をまとめた。

■ハラルト・シューマッハ(西ドイツ)

 1982年スペイン大会の準決勝で、西ドイツのシューマッハはフランスのパトリック・バチストン(Patrick Battiston)に激しくぶつかった。シューマッハの腰で顔面を強打されたバチストンは歯を2本失い、肋骨(ろっこつ)を3本折ったほか、意識も失って負傷退場した。

 このプレーについては一貫してただボールを追っていただけだと主張しているシューマッハは、警告を逃れた上に良心の呵責(かしゃく)なども一切見せず、フランスでは今でも悪名高い選手として知られている。試合は延長戦でも3-3のまま決着がつかず、西ドイツがPKの末に5-4で勝利を収めた。

■ハリド・ブラールズ(Khalid Boulahrouz、オランダ)

 2006年ドイツ大会の決勝トーナメント1回戦、ポルトガル対オランダの試合は、史上最多となるレッドカード4枚、イエローカード16枚が飛び交う「ニュルンベルク(Nuremberg)の戦い」となった。

 オランダのブラールズは、強力なタックルでポルトガルのクリスティアーノ・ロナウド(Cristiano Ronaldo)を負傷させて警告を受けると、後半にも2枚目のイエローカードを提示されて退場になった。

 試合が大乱戦の様相を呈するなか、オランダのジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト(Giovanni van Bronckhorst)と、ポルトガルのデコ(Deco)とフランシスコ・コスティーニャ(Francisco Costinha)がイエローカードを2枚ずつ受けた。ポルトガルはさらに、ルイス・フィーゴ(Luis Figo)がマルク・ファン・ボメル(Mark Van Bommel)を頭突きを食らわせて警告を受けた。

■ナイジェル・デ・ヨング(Nigel de Jong、オランダ)

 2010年南アフリカ大会の決勝では、オランダのデ・ヨングがスペインのシャビ・アロンソ(Xabi Alonso)の胸元に跳び蹴りを食らわせ、「ヨハネスブルク(Johannesburg)の戦闘」と呼ばれた。この行為でデ・ヨングにイエローカードが提示されたほか、オランイェ(Oranje、オランダ代表の愛称)の激しいパフォーマンスに対して、ハワード・ウェブ(Howard Webb)主審から警告が出された。

 デ・ヨングのカンフーキックに象徴されるように、大荒れの決勝となったこの試合では、延長戦でヨン・ハイティンガ (John Heitinga)に2枚目の警告が出されて退場になるなど、オランダに合計9枚のイエローカードが提示された。

 対するスペインのプレーも決して美しいといえるものではなく、合計5枚のイエローカードを出されたが、アンドレス・イニエスタ(Andres Iniesta)が延長戦で決勝点を奪い、トロフィーを獲得した。

■ジネディーヌ・ジダン(Zinedine Zidane、フランス)とマルコ・マテラッツィ(Marco Materazzi、イタリア)

 2006年ドイツ大会のフランス対イタリアの決勝では、延長戦にジダンがマテラッツィに突然頭突きを食らわせるという重大な事件が起きた。

 当初は口論に激高したジダンが報復に出たと思われたが、報道ではマテラッツィの発言が事件の引き金となったことが判明。フランスの伝説的選手であるジダンは、延長後半10分に退場となり、現役ではこれが最後の国際試合となった。

 試合は前半7分にジダンのPKでフランスが先制したが、マテラッツィの同点ゴールで1-1の引き分けに。そして、イタリアが5-3でPK戦を制して優勝した。

■デビッド・ベッカム(David Beckham、イングランド)

 1998年フランス大会の決勝トーナメント1回戦で、イングランドのベッカムは試合の後半にアルゼンチンのディエゴ・シメオネ(Diego Simeone)に挑発され、同選手に蹴りを入れた。試合は2-2の同点でPK戦に突入してイングランドが3-4で敗れたが、ベッカムの本当の試練はここから始まることになった。

 イングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)のスター選手だったベッカムは、イングランドに帰国すると国中からバッシングの嵐に遭遇。ノッティンガム(Nottingham)にある教会の外には、同選手の代わりに慈悲を求めて「神はデビッド・ベッカムでさえも、お許しになる」という看板が掲げられた。

■スラベン・ビリッチ(Slaven Bilic、クロアチア)

 1998年フランス大会の準決勝で、開催国フランスは2-1でクロアチアに勝利した。この試合でクロアチアのビリッチは、ペナルティーエリアでフランスのローラン・ブラン(Laurent Blanc)と小競り合いとなり、大げさに頭を抱えながらピッチに倒れ込んだ。

 ブランはこのプレーでキャリア初の退場となったが、ビデオ映像ではブランがビリッチの頭部にはほとんど接触していないことが判明。レ・ブルー(Les Bleus、フランス代表チームの愛称)は10人で勝利をつかんだが、決定的な証拠があるにもかかわらず、国際サッカー連盟(FIFA)は決勝に出場できなくなったブランの処分を撤回しなかった。フランスは決勝でブラジルに3-0で勝利を収めた。

■ロイ・キーン(アイルランド)

 当時イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)でプレーしていたアイルランド代表のロイ・キーンは、2002年日韓大会直前のサイパン合宿で道具やピッチの問題が浮上する中、その短気な性格を爆発させて本大会が始まってもいないうちにチームを飛び出した。

 ミック・マッカーシー(Mick McCarthy)監督に暴言を浴びせ、同指揮官との亀裂が決定的となったキーンを欠いたアイルランドは、決勝トーナメント1回戦でスペインに敗れた。

■ディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona、アルゼンチン)

 1986年メキシコ大会のイングランドとの準々決勝で、中盤のマエストロと呼ばれたマラドーナはいわゆる「神の手」で得点を記録した後、相手の守備陣を5人抜き去る圧巻のドリブルで2得点目をたたき出し、アルゼンチンのタイトル獲得をお膳立てした。

 しかしながら、米国で開催された1994年大会では薬物検査で失格となり、名誉を失墜した形でW杯のキャリアに終止符を打った。興奮剤を摂取したことが発覚した後、マラドーナがギリシャ戦で得点した際に、テレビカメラに向かって目をぎらつかせながら大声で叫ぶ姿は、何度も映像で流された。

■ルイス・スアレス(ウルグアイ)

 2010年南アフリカ大会で意図的にハンドでボールを止めて退場処分となったスアレスは、4年後のブラジル大会のグループステージでもイタリアのDFジョルジョ・キエッリーニ(Giorgio Chiellini)の肩にかみついて4か月の出場停止処分となった。

 このプレーでスアレスにペナルティーを与えなかった審判にイタリアが抗議する中、ウルグアイはCKを勝ち取って得点につなげ1-0で勝利を収めた。しかしながら、スアレスが制裁を免れることはなく、国際サッカー連盟(FIFA)の規律委員会は試合の2日後、同選手を9か月の出場停止処分にすると決定。残りの試合でスアレスを欠くことになったウルグアイは、決勝トーナメント1回戦でコロンビアに0-2で敗れた。

■ユルゲン・クリンスマン(Jurgen Klinsmann、西ドイツ)

 クリンスマンは「ダイビング」で名声を上げたが、1990年イタリア大会の決勝では最も常軌を逸した転倒をみせた。この試合の後半20分、クリンスマンはアルゼンチンのペドロ・モンソン(Pedro Monzon)のタックルに自ら身を投げ出して大げさに転倒。これでモンソンは一発退場となってしまった。

 映像ではクリンスマンがわざとらしくダイブした様子が確認された。試合は終了5分前にアンドレアス・ブレーメ(Andreas Brehme)のPKが決まり、西ドイツが10人のアルゼンチンを破り優勝した。(c)AFP/Emmanuel BARRANGUET