■教科書朗読する子どもの声が、掘っ建て小屋から

 道中、バナナの葉と木を使って掘っ立て小屋を作り、親子3人で住み始めた。震災時は小学6年生だった雪梅さんは、がれきの中から国語の教科書を探してきて、掘っ立て小屋の中で気持ちをまぎらわすかのように朗読するようになった。

 当時、重慶市(Chongqing)から被災地の取材に訪れていた重慶晨報(Chongqingchenbao)鞠芝勤(Ju Zhiqin)記者は、廃虚の中から教科書を朗読する声が聞こえた時に、まずとても驚き、そして感動を覚えたという。

 鞠記者らは、けなげに勉強する姉妹に、持っていた食料や飲み物を渡した。馮さん一家は当時、毎日ジャガイモを食べて命をつないでいた。「何かあったら連絡するんだよ」。鞠記者は、姉妹に名刺を1枚渡した。

■「おじさん、私、勉強がしたい!」

 それから1か月ほど経った頃、鞠記者のもとに雪梅さんから電話があった。「鞠おじさん、私、勉強がしたい!」

 何とかしてあげたいと考えた鞠記者は、重慶にある恒生手外科医院の湯青(Tang Qing)院長に相談した。湯院長は、この一家を重慶に迎えることに決め、馮さんは湯院長の病院の警備員として働くようになり、娘たちは再び学校に行けるようになった。

 一家は、湯院長の病院からあてがわれた2DKの部屋に住んでいるが、この10年間、家賃は求められていない。「優しい人たちに助けてもらい、家族全員で感謝してもしきれません」と馮さんは話す。

 特に鞠記者と湯院長は、姉妹を実の父親と同じように気にかけている。生活や学業、戸籍などの問題も、3人の「父親」で一緒に解決してきた。周囲の人たちも、馮さん家族を気にかけてくれている。

 姉の雪梅さんは現在、重慶交通職業学院(Chongqing Vocational College of Transportation)で都市軌道交通コントロールを専門に学んでいる。妹の小雁さんは、湯院長の病院で看護師として働いている。雪梅さんは、「みなさんのおかげで立派に成長できました。社会に恩返しがしたい」と話している。(c)東方新報/AFPBB News