【4月3日 AFP】(更新)南アフリカの反アパルトヘイト(人種隔離)運動を率いた故ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元大統領の前妻、ウィニー・マンデラ(Winnie Mandela)さんが2日、死去した。81歳。訃報を受けて、同国を代表する著名人でありながら、最も評価の分かれる人物の一人でもあったウィニーさんへの弔意が続々と寄せられている。

 遺族は声明で、ウィニーさんが長い闘病生活の末、ヨハネスブルクの病院で息を引き取ったと発表。ウィニーさんは「アパルトヘイト国家と勇敢に闘い」、「国民の母としてあまねく知られていた」と付け加えた。

 いち早く哀悼の意を表明した反アパルトヘイト活動家でノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)受賞者のデズモンド・ツツ(Desmond Tutu)元大司教はウィニーさんを、抑圧との闘いにおける「決定的な象徴」と形容した。

 マンデラ氏と38年間の結婚生活を送ったウィニーさんは、少数白人支配の終結を目指す闘争で大きな役割を果たした一方で、暴力事件への関与疑惑などのスキャンダルにも見舞われた。

 マンデラ氏が27年間投獄されていたことから、ウィニーさんは結婚期間の大半を夫と離れて暮らした。2人の娘を女手一つで育て、抑圧的な少数白人支配下に置かれながら、マンデラ氏の政治上の夢の火を消さずに保ち続けた。

 しかしウィニーさんの名声は、アパルトヘイト末期に傷つけられることとなった。1986年には、裏切り者とされる人物の首をガソリンをかけたタイヤの中に入れ、生きたまま火をつける「ネックレス」と呼ばれる私刑行為を支持する演説を行い、物議を醸した。

 1990年、マンデラ氏がついに釈放された際には、マンデラ氏と手に手を取ったウィニーさんの姿に全世界が注目。しかし翌年ウィニーさんは、14歳の少年が殺害された事件をめぐり、誘拐と暴行の罪で有罪判決を受けた。

 マンデラ氏とは1992年に別居、96年に離婚。法廷闘争の中で、ウィニーさんが若いボディーガードと不倫関係にあったことも明かされた。

 ただ高齢になってからのウィニーさんは、故マンデラ氏、そしてアパルトヘイトとの長き闘いの生き証人としてたたえられ、改めて敬意の対象となった。(c)AFP/Ben SHEPPARD