「世界の屋根」で孤立、ワハン回廊のキルギス人 アフガニスタン
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■「われわれは年を取らない」
1978年にカブールでクーデターが起きると、当時の族長ハジ・ラフマン・クル(Haji Rehman Qul)に率いられた人々はイルシャド峠を越えてパキスタンに逃げた。しかし水系感染症(病原体に汚染された水が原因で引き起こされる感染症)によって数百人が命を落とすと、ほとんどの生存者はワハンに戻った。
悲惨な集団移動の後、ラフマンは米政府に「ヤクを飼える環境」にあるアラスカへの移住を懇願したが、米政府はこれを断った。
キルギス人のうちごく少数はトルコへの移住が認められたが、ほとんどはまだワハン回廊で困難な暮らしを続けている。
羊飼いのティロさんは、「もう行く場所がない」と語った。
アフガニスタン政府はワハン回廊のキルギス人を自国民と見なしている。しかし彼ら自身はワハン回廊を自分たちの土地とは思っておらず、ソ連崩壊以降、キルギスへの移住を訴えてきた。
しかしキルギス政府にとって彼らの受け入れは優先順位の高い問題ではない。これまでの複数の政権がワハン回廊など国外のキルギス人2万2000人を本国に戻して市民権を与える計画を発表してきたが、実際に帰還した人は少ない。
族長のジョー・ボイさんは「キルギス政府はやっと重い腰を上げ、今年になって数家族が帰還した」と語った。しかしカブールにあるキルギス大使館に取材したところ、そのような活動は行われておらず、教育目的で数人を受け入れただけだという。
在アフガニスタン・キルギス大使館のウチュクン・エラリエフ(Uchkun Eraliev)代理公使は、「(ワハン回廊の)キルギス人はアフガニスタン国民だ」と述べ、キルギス政府は毎年、食糧や衣類、医薬品などの人道支援をしているにすぎないと述べた。
しかし羊飼いのティロさんは、生き延びるためにワハンのキルギス人が最も望んでいるのはキルギスに戻ることだと言う。
「誰がこんなところに住みたいと思う?でもどうしようもないんだ。われわれは年を取らない。みんな若いうちに死ぬからな」とティロさんは苦笑した。(c)AFP/Gohar ABBAS