戦火さえ来ない最果ての地、アフガニスタンのワハン回廊
このニュースをシェア
■「イスラム国」を知らない
「タリバンは外国から来たすごく悪いやつらで、ヒツジをレイプしたり人を皆殺しにしたりする」と、ベギウムさんの長男アスカル・シャー(Askar Shah)さんは話した。こうした話はパキスタン人の貿易業者から聞いたという。
この国で多数の死傷者を出してきた米国の侵攻や再び勢力を増したタリバンによる攻撃、その後台頭したイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」についてはほとんど知らない。
「外国人が私たちの国に攻め込んで来たのかい?」。米国とその同盟国が2001年にタリバン政権と武力衝突に至った経緯を話すと、シャーさんは信じられないというように聞き返した。「まさか。そんなはずがない。彼らはいい人間だ」
ロシア帝国と大英帝国が中央アジアの覇を競った19世紀の「グレート・ゲーム(Great Game)」の緩衝地帯としてロシアと英領インドの間に設けられたワハン回廊は、それ以来、どの政府からも干渉されたことはなかった。
周辺国から到達することは不可能ではないが、世界有数の三つの高山地帯が集まりどこに危険が潜んでいるかわからない「パミール・ノット(Pamir Knot)」を馬かヤク、または徒歩で来るしかない。
この地域の住民の大半を、アフガニスタンでパミール人として呼ばれているワハン人が占めている。その他ワハン回廊の北端に1100人ほどのキルギス人遊牧民が散らばって暮らしている。
彼らはシーア派(Shiite)の分派イスマイル派からさらに分派したニザール派(アサッシン派)の穏健なイスラム教徒で、イマーム(教主)のアーガー・ハーン(Aga Khan)に従っている。
全身を覆い、女性抑圧の象徴だと批判されることもある衣服ブルカは、アフガニスタン国内で大半の女性が着用しているが、彼らにとってはなじみのないものだ。
犯罪や暴力沙汰はめったに起きない。生活の中心にいるヤクや牛などの家畜をこの辺境の地を訪れる数少ない貿易業者と物々交換して食料や衣服を手に入れている。
電気が通っていないためインターネットや携帯電話のサービスはない。その代わりに、この広大な土地でしばしば連絡を取り合うのに使用されているのが無線機だ。