■サーカシビリ氏:これまでの動き

 サーカシビリ氏は2003年、ジョージアで親欧米の「バラ革命(Rose Revolution)」を主導。その後5年後の2008年にロシアと破滅的な戦争を行い、最終的にジョージアを出た。

 2014年、ウクライナの首都キエフで3か月間続き、同国の親ロシア政権の打倒と親欧州連合(EU)路線への転換につながった民衆蜂起で再び脚光を浴びた。

 ポロシェンコ大統領はサーカシビリ氏にウクライナ国籍を与え、2015年にはサーカシビリ氏を黒海(Black Sea)沿岸の要衝オデッサ(Odessa)州の知事に任命し、その働きに報いた。

 しかし2人の間で仲違いが起き、サーカシビリ氏はウクライナ国籍を剥奪された。サーカシビリ氏は昨年9月、支持者らの支援を受けてウクライナに戻り、翌10月から反政府デモを主導していた。(c)AFP/Genya SAVILOV