【9月28日 AFP】(更新、写真追加)米男性誌「プレイボーイ(Playboy)」の創刊者ヒュー・ヘフナー(Hugh Hefner)氏が27日、死去した。91歳。プレイボーイ誌がツイッター(Twitter)で発表した。

 プレイボーイ発行元のプレイボーイ・エンタープライゼズ(Playboy Enterprises)の声明によると、ヘフナー氏は「プレイボーイ・マンション」の名で知られるビバリーヒルズ(Beverly Hills)の自宅で亡くなった。自然死だったという。

 シルクのパジャマがトレードマークで、「誰かの夢を生きるには人生は短すぎる」との名言を残したヘフナー氏は、1953年にプレイボーイを創刊。ヌード写真を掲載した同誌は、20世紀における性に対する考え方を変える草分け的な役割を果たした。

 自らも完璧な遊び人だったヘフナー氏は、性における革命を達成した後も長生きし、プレイボーイのピンナップを飾った名高い豊満なモデルたちをもしのぐ存在となっていった。

 ヘフナー氏の息子でプレイボーイ・エンタープライゼズのチーフ・クリエーティブ・オフィサーを務めるクーパー・ヘフナー(Cooper Hefner)氏は声明で、「父はメディアや文化の先駆者として、また現代でも最も重要な社会的・文化的運動のいくつかを支えて言論の自由や公民権、性の自由などを提唱した主導的な発言者として、他に類を見ない、影響力に満ちた人生を送った」とコメント。「父はプレイボーイの中核をなすライフスタイルや精神を定義し、同誌は史上最も有名かつ長続きするブランドの一つとなった」とたたえた。

 ヘフナー氏は一般的な定年を過ぎてもなおプレイボーイの編集に積極的に関与し、毎月の表紙やプレイメイトの選定を行っていた。また、晩年もナイトクラブに頻繁に顔を出し、多数の若いガールフレンドたちと交際を続け、こうしたライフスタイルこそが寝室の内外で若さを保つ秘訣(ひけつ)だと豪語していた。

 2003年のAFPとのインタビューでヘフナー氏は、「私の時代において社会的な性の価値の変革にプラスの影響を与えた人物として記憶されたい」と語っていた。(c)AFP