【1月30日 AFP】アフリカ西部ベナンのウィダー(Ouidah)では、毎年1月になると大勢のブードゥー教の信者、観光客、奴隷の子孫らが浜辺へと続く長い砂の道を行進する。

 自動車やバイク、頬に出身部族を表す傷がある巻きスカートをはいた女性たちが、大西洋(Atlantic Ocean)の波が打ち寄せる岸に建てられた記念碑「帰らずの門(Gate of No Return)」を目指す。

 この記念碑はこの地から新世界(New World)行きの奴隷船に詰め込まれた人々をしのんで1992年に建立された。ベナンの小さな海辺の町ウィダーがかつて、西アフリカの南部沿岸における黒人奴隷貿易の集積地だったことを今も思い出させる碑だ。数世紀にわたって500万人、一説には1000万人ともいわれる奴隷たちがここから新世界へ運ばれたとされるが、正確な人数は誰にも分からない。

 見えないものや自然の霊を崇拝するブードゥー教の発祥地は、現在のトーゴとベナンにまたがるかつてのダホメ王国だ。ウィダーはブードゥー教発祥の地ではないが、米ルイジアナ(Louisiana)州やブラジル、ハイチにはここから伝わった。

 ベナンで共産党政権が倒れた後の1993年に、ニセフォール・ソグロ(Nicephore Soglo)大統領がこのブードゥー教の祭典を創始した。ウィダーは世界の5000万人のブードゥー教信者にとって最も有名な巡礼地となった。

■「生き方」

 カリブ海の島国ハイチの国家民族学局の局長でブードゥー教の神官でもあるエロル・ジョズエ(Erol Josue)局長は「ウィダーを記憶にとどめておくことは義務だ」という。ジョズエ局長他7人は「過去と和解する」ためにベナンを訪れた。

 コールと呼ばれる化粧品を目の周りに厚く塗り、マリのドゴン(Dogon)族のずっしりした指輪をはめたジョズエ氏は「カリブ人としての自分を受け入れる上で、祖先の地に帰還することは重要だ」と付け加えた。

 米国人の若い黒人女性、ギジブタさんは「ブードゥー教は生き方」だと語った。彼女は先祖の故郷を旅する時はいつも、普段とは違う名前を用いるという。ギジブタさんは6年前にブードゥー教に入信し「内なる探求」を始めたという。

■「霊的な悲しみ」

 厳密にいうと、ブードゥー教は祖先崇拝ではない。

 フランス、ベナン、トーゴの血を引く振付師で、ブードゥー教のダンスプロジェクトに取り組むバンサン・ハリスド(Vincent Harisdo)さんは、ブードゥー教は「我々が見ることのできないものを目に見える形に表したもの」だと語る。「人は誰しもその内面にもう一人の自分『ファ(ブードゥー教の神)』をもっている。我々は皆もう一人の自分を探し求めている。それがここではブードゥー教と呼ばれ、欧州では心理学と呼ばれている」

 米国人のゲイル・ハーディソン(Gail Hardison)さん(57)は、自らの起源を知るために精神性ではなく科学を選んだ。数年前にDNA検査を受け、先祖がカメルーン北部の出身だということが判明。今年、祖先の地を目指してベニンにやってきた。「私は信者ではないけれど、ブードゥー教を宗教として尊重している。針を刺すブードゥー人形がブードゥー教なのではない」

 毎年1月10日はビーチで行進が行われ、祭りは1週間にわたって続く。ダンスが披露され、旅行者が詰め掛けると祭りに民間伝承らしい色彩が加わる。

 だが灼熱の太陽の下、大勢の人が集まり、さまざまな音が聞こえる中で、ハーディンソンさんは「帰らずの門」を眺めながら「霊的な悲しみ」を感じると言った。「昔ここをくぐった人々にとって、違う運命が待っていたら良かったのに。私は彼らと共にいる気がする」

(c)AFP/Sophie BOUILLON