【11月27日 AFP】フィデル・カストロ(Fidel Castro)前国家評議会議長の死去が発表された時にどこにいたか、キューバ人はいつまでも忘れないだろう。ダンスが盛んな首都ハバナ(Havana)では音楽がぴたりと止み、人々は眠っていた家族や親しい友人をあわてて起こしてこのニュースを知らせた。

 26日午前0時(日本時間同日午後2時)すぎ、実弟のラウル・カストロ(Raul Castro)国家評議会議長(85)が国営テレビで前議長の死去を発表すると、繁華街からお祭り騒ぎと人影が消えた。当時ホテルで勤務中だったヤイマラ・ゴメス(Yaimara Gomez)さんは、「みんなショックを受けていた。とても悲しい瞬間だった」と語った。

 何年も前からさまざまな機会に虚報が流れたものの、今回は違った。キューバ国民の大半が育った時代に国の指導者だった人物がこの世を去ったのだ。ラウル・カストロ議長は「国民ならびに米州と世界の友人たちに非常に悲しい知らせがある。キューバ革命の最高司令官フィデル・カストロが本日11月25日午後10時29分(日本時間26日午後0時29分)に死去した」と述べた。死因などは具体的に明らかにされなかったものの、2006年に腸の緊急手術を受け、ラウル氏に権力を移譲してから住んでいたハバナ市内の自宅で死去したとみられている。

 アウロラ・メンデス(Aurora Mendez)さん(82)は「言葉もありません。フィデル・カストロは人生より偉大だった。彼より先に死にたいといつも思っていたのに」と述べた。また、1959年の革命前の貧しい生活を振り返って「フィデルは常に真っ先に行動し、虐げられた貧しい人々のために戦っていた」と語った。

 政府は9日間の服喪期間を発表し、半旗を掲げるよう指示した。遺灰は全国各地を巡る4日間の葬列を経て、来月4日に南東部のサンティアゴデクーバ(Santiago de Cuba)に埋葬される。サンティアゴデクーバは、前議長が1953年に革命を起こそうとして失敗したゆかりの地だ。

 フィデル・カストロ前議長死去のニュースは世界中に拡散したが、キューバの国内メディアにとっては不意打ちだったようだ。共産党機関紙グランマ(Granma)でさえ、ウェブサイトに訃報を掲載するまで約5時間も要した。(c)AFP/Hector Velasco