■球史に残る走塁ミスに助けられたカブス

 カブスは1908年以来、ワールドシリーズを制することができていないが、「マークルズ・ボナー(Merkle's Boner、マークルのボーンヘッド)」と呼ばれる球史に残る相手選手の走塁ミスがなければ、同年のシリーズ出場も逃すところだった。

 ニューヨーク・ジャイアンツ(New York Giants、現サンフランシスコ・ジャイアンツ<San Francisco Giants>)と敵地で対戦したカブスは、9回裏にジャイアンツの新人フレッド・マークル(Fred Merkle)に単打を許し、サヨナラの走者を三塁に進められた。つづくアル・ブリッドウェル(Al Bridwell)も安打を放ち、サヨナラの走者が生還して勝利すると信じた観客が、フィールドに流れ込んだ。しかしながら、ナ・リーグ最年少の当時19歳でMLB初先発を果たしていたマークルは二塁を踏んでいなかった。ボールを再び手に入れたカブスは二塁ベースにタッチすると、主審はアウトの判定。得点は認められなかった。

 その後、観客をフィールドから出すことができず日没を迎えて試合は1-1の引き分けに終わり、ジャイアンツは勝利を逃すこととなった。カブスとジャイアンツはワールドシリーズの出場権を懸けて再試合を行い、結局カブスがジャイアンツに4-2で勝利。カブスはデトロイト・タイガース(Detroit Tigers)を破り、ワールドシリーズ優勝を果たしている。

■8点リードから大逆転されたカブス

 カブスは、1929年に初めて現在の本拠地リグレー・フィールド(Wrigley Field)でワールドシリーズに挑んだ。1914年にウィーグマン・パーク(Weeghman Park)としてオープンした同球場は、1927年に現在の名称であるリグレー・フィールドに改称された。このワールドシリーズでフィラデルフィア・アスレチックス(Philadelphia Athletics、現オークランド・アスレチックス<Oakland Athletics>)と対戦したカブスは、1勝2敗で敵地で行われる第4戦に乗り込んだ。

 カブスは7回表までに8-0と大きくリードし、2勝2敗のタイに並ぶまで残り9死のところまでいったが、アスレチックスはその裏に一挙10点を返してこの試合を逆転勝利で飾ると、2日後に行われた第5戦も制して優勝を果たした。この8点ビハインドから見せたアスレチックスの巻き返しは、MLBプレーオフ史上最大の逆転劇として今も語り継がれている。