【9月11日 AFP】35年前に当時のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)米大統領の暗殺を試み、精神障害を理由に無罪判決を受けたジョン・ヒンクリー(John Hinckley)氏(61)が10日、入院していた首都ワシントン(Washington D.C.)の精神科病院を退院した。米紙が報じた。

 米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)は、ヒンクリー氏の弁護士バリー・レビン(Barry Levine)氏の発言と、病院の敷地内で目撃した人の証言を引用してヒンクリー氏がセント・エリザベス病院(St. Elizabeths Hospital)を退院したと報じた。

 連邦裁判所は今年7月、ヒンクリー氏に自身や他者に危害を加える恐れがなくなったと判断。バージニア(Virginia)州ウィリアムズバーグ(Williamsburg)のゲーテッドコミュニティーで、厳しい条件を課された上で90歳の母親と暮らすことを認めていた。

 1990年代からヒンクリー氏が母親の家への訪問・滞在を許される期間は徐々に長くなっていき、最長で17日間の滞在が認められた。その際には米大統領警護隊(シークレット・サービス、US Secret Service)の隊員が監視に当たった。

 ヒンクリー氏は1981年3月30日、首都ワシントンのホテル前でレーガン大統領を銃撃し、レーガン大統領と報道官のジェームズ・ブレイディ(James Brady)氏を含む4人に重傷を負わせた。ヒンクリー氏は動機について、映画『タクシードライバー(Taxi Driver)』に出演した女優のジョディ・フォスター(Jodie Foster)さんを好きになり、レーガン大統領を殺害することで彼女の気を引こうとしたと説明。裁判では精神障害を理由に無罪判決を受け、ワシントン市内の病院で入院措置が取られていた。

 レーガン氏の家族とロナルド・レーガン財団は一貫してヒンクリー氏の退院に反対していた。

 レーガン大統領暗殺未遂事件は銃による暴力と心の病気の治療をめぐる激しい議論を呼んだ。重傷を負った報道官のブレイディ氏は半身不随となり、銃規制強化を求める主要論者となった。

 2014年にブレイディ氏が亡くなった際、検視官は氏の死因を33年前に負ったけがと判定したが、ヒンクリー氏に対する新たな訴えは起こさなかった。(c)AFP