【7月25日 AFP】2016年の野球殿堂(Baseball Hall of Fame)入り表彰式典が24日、米ニューヨーク(New York)州クーパーズタウン(Cooperstown)で行われ、ケン・グリフィーJr.(Ken Griffey Jr.)氏とマイク・ピアザ(Mike Piazza)氏が殿堂入りを祝福された。

 野球発祥の地とされるクーパーズタウン(Cooperstown)で行われた式典には、今年は5万人のファンが集まった。その殿堂入りのスピーチで、2人は家族や幼少期、さらには2001年9月11日に米同時多発攻撃を振り返り、涙を流した。

 ニューヨーク・メッツ(New York Mets)時代のキャップ姿で記念の銘板を作ったピアザ氏は、強打の捕手として、1998年5月から7年以上所属したメッツで計220本塁打を記録。なかでも、米同時多発攻撃発生後、ニューヨーク(New York)で初めて開催されたスポーツイベントとなった公式戦で放った決勝の本塁打は、現在も人々の記憶に残っている。

 ピアザ氏は「野球がニューヨークに初めて戻ってきた試合で2点本塁打を打ったことで、みなさんの多くが僕をたたえてくださいますが、本当にたたえられるべきは、警察官や消防士、最初に動いた人たち、そういった死を覚悟しながらも前進した方々です」と語った。

 ピアザ氏は、同じく殿堂入りを果たしている名将トミー・ラソーダ(Tommy Lasorda)氏と知り合いだった父親のヴィンス氏の口利きがあって、ロサンゼルス・ドジャース(Los Angeles Dodgers)にドラフトで指名されている。ピアザ氏は「やったよ、父さん。競争は終わりだ。あとはバラの香りを嗅ぐときだ」とヴィンス氏に報告した。

 登壇前はグリフィー氏と冗談を言い合うほどリラックスしていたというピアザ氏だが、実際に始まってみると、スピーチは「とてつもなく胸に来る」体験だったという。ピアザ氏は殿堂入りの先輩たちを引き合いに出しながら、「ここで感じる気持ちに対して、心構えをしておくなんてできるはずがない。この殿堂が指し示すすべて、この演台の後ろにある歴史がそうさせてしまうんだ」と話した。

 一方、グリフィー氏はシアトル・マリナーズ(Seattle Mariners)から初めて殿堂入りした選手になった。現在は3人の子供を持つ父親のグリフィー氏だが、この日は「ザ・キッド」と呼ばれた現役時代に立ち戻り、声を震わせながら、「子どもの頃の夢をかなえてくれた」マリナーズ、そしてシカゴ・ホワイトソックス(Chicago White Sox)とシンシナティ・レッズ(Cincinnati Reds)に感謝した。

 グリフィー氏は息子のテヴィン君がかぶっていたキャップを取り、それを後ろ向きにかぶった。キャップを後ろ前にかぶる姿は、2014年に殿堂入りしたフランク・トーマス(Frank Thomas)氏のアドバイスで始めた、若手時代のグリフィー氏のトレードマークだった。

 スピーチ中に何度も言葉に詰まり、おえつを漏らしたグリフィー氏は、その理由について「いろんな人から、『子どもの姿は絶対に見るなよ。どうしようもなくなるまではな』と言われていたけれど、がまんできなかった。自分には無理だった。子どものころによく言われただろう?『やっちゃダメ』って言われたことほどいつもやってしまうことが」と語った。

 マリナーズに13年在籍し、10年連続でゴールデングラブ受賞、計417本塁打を記録したグリフィー氏は、「自分を一番大事にしてくれたチームが一番なんだ」と語っている。(c)AFP