■つらい経験を糧に

 ポルトガル代表主将が最初にスカウトの目を引きつけたのは、地元サッカーチームのCFアンドリーニャ(CF Andorinha)でプレーしていたときだ。ロナウドが7歳で加入した当時、シニアチームを指揮していたというジョゼ・バセラー(Jose Bacelar)会長は、「私たちが彼にサッカーの扉を開いたのです。彼は自分の才能を示すクラブが必要でした」と語っている。

「彼がアンドリーニャでサッカーを始めたことは幸運でした。すでにテクニックはずば抜けていましたよ」

 アンドリーニャは、ロナウドが幼少期にプレーしていた場所であることを誇らしくアピールする。ロナウドのポートレート写真がいたるところに飾られ、ユニホームには少年時代のロナウドの顔がプリントされている。

 またクラブでは、背番号7が欠番になっている。ロナウドが「いつの日か、クラブへの復帰を決断するときのために」とっておくというのがその理由だ。

 父親がアンドリーニャで働いていたため、加入する前から、ロナウドの名前はすでにクラブ内にとどろいていた。元隣人によれば、「親子はとても仲が良くて、手をつないでアンドリ―ニャに通っていた」という。

 当時のロナウド一家は貧しかった。隣人の話では、父親は酒飲みとして知られ、一家の大黒柱は、母親のドロレス・アヴェイロ(Dolores Aveiro)さんだったという。兄弟姉妹は、兄が1人と姉が2人。そんなロナウドについて、バセラー会長は、「クリスティアーノはつらい経験を糧にし、逆境をくぐり抜けた。現在の若者はとても恵まれている。次のロナウドが現れることはないだろう」と語った。 

 アンドリーニャでロナウドと一緒にプレーしていたという30歳のリカルド・サントス(Ricardo Santos)さんは、「家にいるのはつらかったんだろう。だからずっと外でサッカーをしていた」と当時を振り返る。遊び相手は友人やいとこで、年上の体の大きい子ばかり。それでも一緒にプレーすることで、ロナウドは「別のやり方を学んでいった」という。