地元カピサ(Kapisa)村のイマーム(指導者)は、ゴルバハーリさんに村に戻って来てはならないと命じた。アジジさんいわく、これは「死ぬべきだ」という意味だ。

 程なくして、カブールの家の庭に爆弾が投げ込まれた。不発弾だったが、すぐに脅迫電話がかかるようになってきた。ゴルバハーリさん夫婦は家を転々とした。

 翌月の11月半ばには映画祭に参加するため、フランス西部ナント(Nantes)へ飛んだ。しかし殺害脅迫を受けた家族らから、戻って来ない方がいいと促された。

 ゴルバハーリさん夫婦は、パリ(Paris)から90キロ離れたドルー(Dreux)にある亡命希望者向けの老朽化したシェルターに入った。「フランスに住むことを夢見ていたけれど、こんな形ではなかった」とゴルバハーリさん。夫婦が特に恐れているのは、自分たちと同じアフガニスタン人に会うことだ。

 アジジさんは「誰にもマリナだと気付かれないことがとにかく大事だ」と話す。ゴルバハーリさんを残して部屋を出る時は必ず鍵を掛け、誰かが彼女に近づいて、保守派のイマームが出した死刑宣告を遠く離れた場所で実行しないよう警戒している。

 ゴルバハーリさんは今、公の場ではベールをすっぽりかぶって外さない。ベールをかぶっていなかったことが発端となった悪夢がもたらした、悲惨で皮肉な展開だ。

■危険にさらされるアフガニスタンの映画人

『アフガン零年』のセディク・バルマク(Siddiq Barmak)監督も、1年前にフランスへ難民として逃れた。「アフガニスタンの俳優や女優、あるいは映画に関わる人は異端とみなされて非難され、常に危険にさらされている」とバルマク監督は話す。

 2014年の半ば、カブールから国際部隊の大半が撤退して以来、宗教的保守主義がアフガニスタンを席巻している。しかもそれは「タリバンだけではない」と監督は指摘する。

 国連(UN)によると、アフガニスタンでは今も続いている衝突により、昨年だけで3700人近い民間人が死亡した。ゴルバハーリさんが釜山の映画祭に出席したころ、北部のクンドゥズ(Kunduz)では2つの大きな出来事が発生した。タリバンが一時的に同市を制圧したこと、それから米軍が、国際医療支援団体「国境なき医師団(MSF)」が運営する病院を誤爆したことだ。

 じめじめとした部屋に戻り、ゴルバハーリさんは希望の光を見いだせずにいる。「以前は未来への夢を抱いていた。でも今思うのは、過去のことばかり」(c)AFP/Joris FIORITI