■私生活での悲劇

 プリンスさんは、早い時期からのインターネット支持者だった。しかし、それとの関係は、決してスムーズなものではなかった。そして2010年には、インターネットは「完全に終わった」と宣言し、アルバムCDを欧州の一部新聞の折り込みとして配布した。

 しかし最近では、ストリーミング配信に可能性を見いだしていたのも事実だ。自らの活動が制限されることなく、より迅速にアルバムをリリースできることを好感し、大物ラップ歌手ジェイ・Z(Jay Z)が立ち上げた音楽配信サービス「Tidal」と契約を結んだ。

 プリンスさんはここ2年間で、アルバムを4枚をリリースしている。精力的にこなしていたツアーでは、転売防止として公演直前にチケットを販売する方法を採用した。

 私生活では、苦しい時期も経験した。キャリアが始まった当初は、うつの症状に悩まされていたとされ、1996年には当時の妻だったダンサーのマイテ・ガルシア(Mayte Garcia)さんとの間に生まれた男の赤ちゃんが、生後間もなく死去している。ガルシアさんとはその後に離婚した。あまり私生活について公にしなかったが、この離婚については、息子の死が大きく関係していると後にガルシアさんが明らかにしている。

 プリンスさんは最近、「パープル・レイン」の収録曲「ザ・ビューティフル・ワンズ(The Beautiful Ones)」と同タイトルの回顧録を2017年に出版すると発表し、自身の言葉で人生を振り返るとしていた。

 だが、それからわずか1か月後に、彼はこの世を去ってしまった。それは、謎多きアーティストとして今後も語り継がれることが決定した瞬間でもある。(c)AFP/Shaun TANDON