■名声を得た「キッド」

 ピアニストの父と歌手の母というジャズ・ミュージシャンを両親に持つプリンスさんの本名はプリンス・ロジャーズ・ネルソン(Prince Rogers Nelson)。1958年にミネアポリスで生まれた。

 10代の頃にバンド活動を始め、その後ワーナー・ブラザーズ(Warner Brothers)と契約を結んだ。レコーディングのため、一時的に米カリフォルニア(California)州に転居し、1978年のデビューアルバム「For You」を完成させた。同作品では、全ての楽器を自ら演奏した。

 セルフタイトルの2作目では、後に米ミュージシャンのチャカ・カーン(Chaka Khan)がカバーすることになった「I Feel For You」など、ダンサブルでキャッチーな楽曲が収録され、初めて商業的成功を収めた。

 その後の数年間は、ヒット曲を連発させ、アルバム「1999」は自身の代表作の一つとなった。しかし、その中で最も高い評価を受けたのは、半自伝的な映画のサントラ作品として発表された「パープル・レイン」だ。この映画でプリンスさんは主人公の「キッド」を演じた。

 バックバンドのザ・レヴォリューション(The Revolution)とともに制作したこのアルバムには、「レッツ・ゴー・クレイジー(Let's Go Crazy)」や「When Doves Cry(ビートに抱かれて)」、「I Would Die 4 You(ダイ・フォー・ユー)」などのヒット曲が多数収められていた。

 プリンスさんは、その後もコンスタントに作品を発表し続けたが、活動を制限するようなレーベル側の動きに不満を募らせ、次第にその距離は広がることとなり、お互いの信頼関係は崩れていった。

 90年代初頭には、アフリカ系米国人のうっ積した感情を行動で示すかのように「slave(奴隷)」の文字を頬に書き、自らが置かれた状況について声を上げて抗議した。そして、自分自身でレコーディングする道を模索しつつ、芸名をそれまでの「プリンス」から、男性と女性を表すシンボルを融合させたような「愛のシンボル」へと変更した。このシンボルに名称はなく、発音することが不可能だった。

 その後は、アルバムの発表方法に実験的なアプローチを取り入れるなどして活動を継続。生涯にスタジオアルバム39作品をリリースし、グラミー賞も7回受賞した。