【10月27日 AFP】私のような熱狂的なラグビー・ファンにとって、W杯取材は念願の夢の実現だ。しかも世界最高のチーム、ニュージーランド代表オールブラックス(All Blacks)に密着取材できるとは、夢が3倍にもかなったようだ。

 オールブラックスと共に英国で2か月間を過ごす。友人たちを間違いなく嫉妬させる類いの仕事だし、再びこの座を獲得するためならば、私は闘いを辞さないだろう。それにしても、W杯開幕から1か月を経た今、まだまだ飽き足りないと言ったら誇張しすぎかもしれない。
 

ラグビーW杯イングランド大会・プールC、ニュージーランド対ナミビア。トライを決めるニュージーランドのコーディー・テイラー(2015年9月24日撮影)。(c)AFP/ADRIAN DENNIS

 私はジャーナリストとして約20年にわたってラグビーを取材してきた。1999年にはフランス代表のニュージーランド遠征に同行。ラグビーがプロ化されて4年後だった。当時のラグビーはまだアマチュアスポーツの心温まる側面──約150年間にわたって受け継がれていたラグビーの特徴のひとつ──を残して いた。翌日試合がない日には、我々はホテルの部屋で選手たちと一緒にビールを飲み、たばこの煙が充満する中、酒盛りはしばしば深夜まで続いた。仕事をしているとよくトッププレーヤーが寄って来て、写真がどう編集され送信されるのか、私の肩越しに見ていた。私たちは同じ世界にいた──年頃も同じくらいで、給料もだいたい同じだった。フランス代表、レ・ブルー(Les Bleus)は結局、粉砕されたが、私の中にはあの遠征の心温まる記憶がまだ残っている。
 

ラグビーW杯イングランド大会・プールCのトンガ戦前夜、ニューキャッスル・アポン・タインのセント・ジェームズ・パーク・スタジアムでトレーニング・セッション後に円陣を組むニュージーランド代表(2015年10月8日撮影)。(c)AFP/GABRIEL BOUYS

 さて、時を早送りして2015年……。オールブラックスのような本命チームの選手とビールを飲んだり、彼らを自分のホテルの部屋に呼んだりするなど、絶対にあり得ないことだ。彼らのホテルは大勢のガードマンによって厳重に警備され、許可なく近寄ろうものなら即座につまみ出される。選手たちはその「要塞」から外に出るとき、耳にイヤホンを入れ、地面を見つめてうつむいたままだ。私たちの方に目を向けるどころか、手を振ることさえない。
 

ラグビーW杯イングランド大会中、スウォンジーでのトレーニング・セッション後、バスに乗り込むニュージーランド代表のリッチー・マッコウ(2015年10月12日撮影)。(c)AFP/GABRIEL BOUYS  

 ラグビーW杯の規定では、全チームとも最低15分間、練習風景をメディアに公開しなければならない。最少で15分、なのだが、オールブラックスにとっては最大でもある。それ以上は1秒たりとも許されない。

 ある典型的な練習風景──選手たちが入って来るのと反対側のタッチライン沿いに報道陣が撮影機材を構えて並ぶ。選手たちがシューズを履くと、主将のリッチー・マッコウ(Richie McCaw)が100メートルダッシュ数本から練習を始める。パス回しが始まると、カメラのシャッター音が響く。残りの選手たちが到着し、1人のコーチが彼らを集めてウオーミングアップを始めると、そこで「ありがとう、皆さん。これで終わりだ」とチームの広報主任が告げる。約束の15分が過ぎたのだ。私たちは観念し、不満を抱えながらピッチから追い出される。残ることができるのはチーム公認のフォトグラファーだけだ。
 

ラグビーW杯イングランド大会、ニュージーランド代表のトレーニング・セッション。(c)AFP/GABRIEL BOUYS


■世界王者の厳格な取材規制

 現在世界王者のニュージーランド代表は、ピッチの中でも外でもすべてがコントロールされ、研究され、分析されている。メディア対応もすべて、取り付くしまもない広報担当によって計画され、調整され、発信されている。記者会見でも、珍しく街へ外出するときでも同じだ。すべてが入念に事前準備されている。スティーブ・ハンセン(Steve Hansen)監督もマッコウも記者の質問にはめったに答えず、アシスタントコーチや控え選手に対応させる。
 

ラグビーW杯イングランド大会中、ダーリントンで記者会見に出席したニュージーランド代表の控え選手チャーリー・ファウムイナと、アシスタントコーチのイアン・フォスター(2015年10月12日撮影)。(c)AFP/GABRIEL BOUYS   

 私が今回のW杯で担当したチームがオールブラックスだから、彼らについて書いているが、他のチームでも状況は基本的に変わらない。外部とのコミュニケーションは、鉄壁の広報担当者にコントロールされる。高額を払って「独占取材」契約を交わしたのでない限り、メディアと関わるのは時間の無駄だと広報は考えている。練習風景の撮影に許可される時間はあまりに短く、ボールが入った写真1枚を撮ることさえ難しい。さらにばかばかしいのは、練習中のユニホームに付いたスポンサーのロゴだ。試合中はジャージーにスポンサーロゴを付けることが禁じられたため、練習が「スポンサーロゴを披露する」時間になったのだ。
 

ラグビーW杯イングランド大会、トレーニング・セッション中のニュージーランド代表、ベン・スミス。(c)AFP/GABRIEL BOUYS

 金銭支配の世界と化したサッカーのW杯も、何度か取材したことがある。誰もが知っているように、独占権のために金を出さないメディアに対しては、そこでは厳格な規制が敷かれている。世界中で数十億人がフォローし、膨大な金銭が動くサッカーについては、もはやできることはほとんどない。

 だがラグビーはどうか。ファンがいるのは、おそらく十数か国程度といったスポーツだ。過剰な報酬を受け取っているサッカーのスター選手のように傲慢(ごうまん)に振る舞うことによって、世界的なファンの数が限られたこのスポーツにどれだけの害が及んでいるか、各国のラグビー協会は認識していないと思う。

 次のラグビーW杯は、2019年に日本で開催される。多額を投じて日本まで取材チームを送り、2か月間、ほとんど取材させてもらえなければ、欧州メディアにとって何の甲斐があるだろうか。
 

ラグビーW杯イングランド大会中、スウォンジーでのトレーニング・セッション後、バスに乗り込んだニュージーランド代表のネヘ・ミルナースカッダー(2015年10月12日撮影)。(c)AFP/GABRIEL BOUYS

■ラグビーへの愛着ゆえに味わう屈辱感

 幸いにも、まだ大会は続く。その間に私たちはまだ何とか最善と思える方法で仕事できるだろう。それに、ルーマニアやジョージア(旧グルジア)、ウルグアイといった「小さな」アマチュアチームもある。まだメディアの関心が低く、それゆえメディアとの関係も正常で、温かい雰囲気を残しているチームたちだ。

 オールブラックスを2か月間取材しても、司令塔のダン・カーター(Dan Carter)が見かけほど成長したかどうかとか、マッコウには評判どおりのカリスマ性があるかとか、ソニー・ビル・ウィリアムズ(Sonny Bill Williams)はうわさどおり気さくなのかといったことについて、私には話せないだろう。ビッグチームの選手たちの多くも、要塞化したホテルやすべて台本どおりに進行されるPRイベントに辟易しているはずだ。そんなのは屈辱だ。
 

ラグビーW杯イングランド大会中、スウォンジーでトレーニング・セッションに励むニュージーランド代表主将、リッチー・マッコウ(2015年10月13日撮影)。(c)AFP/GABRIEL BOUYS 

 オールブラックスの「守り」が比較的とけた瞬間を目にできた貴重な時間には、失望はなかった。例えば彼らがカーディフ(Cardiff)の小児がん病院を訪れ、子供たちを笑顔にさせたとき。それからチームスポンサーが主催したワークショップで、ロンドン(London)やダーリントン(Darlington)の若いラガーマンやラガーウーマンたちにラグビーの素晴らしさを伝えるアンバサダーとなり、心底楽しそうだった世界最高の選手たち。

 そうした瞬間こそ、ラグビーの巨人たちが、スターサッカー選手のように広報のプロが立案したPR計画どおり振る舞う姿を見るのはなんという屈辱かと、いっそう思わずにはいられなかった。(c)AFP/Gabriel Bouys
 

ラグビーW杯イングランド大会中、カーディフにある小児病院のがん病棟を訪問したニュージーランド代表選手たち。(c)AFP/GABRIEL BOUYS


この記事は伊ローマを拠点とするAFPのフォトグラファー、ガブリエル・ブイが執筆し、10月16日に配信されたコラムを日本語に翻訳したものです。
 

ラグビーW杯イングランド大会中、ダーリントンでのファンイベントで子どもたちとプレーするニュージーランド代表のリアム・メッサム(2015年10月8日撮影)。(c)AFP/GABRIEL BOUYS