■欧州の扉口、ギリシャ・コス島へ渡る海岸

 ギリシャ側、コス島での取材を終えてきたAFPのビデオジャーナリスト、セリーヌ・クレリー(Celine Clery)がトルコ側から報道するため私に合流した。彼女によれば、コス島では難民たちの雰囲気がまったく違うという。欧州に到達することができた移民たちは、安堵(あんど)と喜びでいっぱいなのだ。だが、ここボドラムでは人々は恐れ、撮影されることを嫌がり、口も開きたがらない。写真記者のビュレント・クルチュ(Bulent Kilic)と一緒に地元住民や目撃者たちに話を聞いた後、私たちは難民らがよく出発点にするビーチをいくつもメモした。

 私たちが路肩に車を止めた場所からは、地平線にコス島の光が見えた。エーゲ海をトルコの海岸警備隊がパトロールし、憲兵隊の車両も数台通過した。夜は更け、近くの2軒のレストランが光を落とすと、海は穏やかに見え、空は星でいっぱいだった。

 大きな動きがあったのは、午前2時半過ぎだった。灯台の光しかない時間帯だ。まず、黄色のタクシーが数台、連なって2車線の道を通り過ぎた。1台が私たちの車から2~3キロ離れた場所に止まり、運転手は海を見ながら携帯電話でメッセージを送り、暗闇に消えた。

 このタクシーが消えた後、私たちは1隻のボートを抱えて林の中から現れ、海岸線へ向かって行く移民の一行を見た。彼らの後を追って海岸線まで、でこぼこ道を走った。一行は小さなボートを海に浮かせ、最後尾の男性がパドルを手に水をかき分けながら乗り込んだ。いつどこから出航すべきか、手はずを整えたのは密航業者だ。

 別の夜には、やはり海岸に到着した10人程度のシリア難民を目撃した。彼らはカメラの照明にショックを受けたようだった。ボートのエンジンがかからず、最初の出航は失敗した。すると全員がゴムボートから降り、顔を隠しながら丘へと上っていた。みんなパニック状態で、トルコの憲兵隊に見つかることを恐れていた。その中の1人がカメラに向かって叫んだ。「もしも死んだら、おまえたちのせいだ!」

 また別の検問所では、パキスタン人の密航業者に話を聞くことができた。彼は片言のトルコ語で、イスタンブールで働いていたが稼げないため、ボドルムに来たと語った。私たちが林の前で静かに立っていると、ボートに乗り込む順番を待つ難民たちが移動する音が聞こえた。子供を含め50人ほどのグループがビーチに詰めかけ座っていると、他の者たちがボートを肩に担いで海に入れた。彼らは耳をつんざくような子供の泣き声とともに、海へ消えていった。

 欧州での安定した安全な暮らしという夢に向かうための航海が成功したかどうか、私たちが知ることはおそらくないだろう。失敗してトルコへ引き返したかもしれない。あるいはもっと悪い結果もあり得る。だが、膝まで海につかったパキスタン人の密航業者は満足げだ。ボート1隻につき少なくとも5万ドル(約600万円)を稼いだ彼は、もっと多くの出発場所を見つけなくては、と私たちに告げて立ち去った。(c)AFP/Fulya Özerkan

この記事は、トルコ・アンカラを拠点とするAFP記者フルヤ・ウーゼルカンが執筆し、イスタンブール支局スチュアート・ウィリアムズが編集し、9月4日に英語で配信されたコラムを翻訳したものです。