「ドイツで発明家になりたい」 アフガン難民少年の夢
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【9月24日 AFP】アフガニスタン難民の少年、ベヘナム・アフマディ(Behnam Ahmadi)さんはトルコからボートでエーゲ海を渡り、ここギリシャ・レスボス(Lesbos)島の海辺にたどり着いた。衣服はまだぬれている。だが、ヨーロッパが滞在を認めてくれたら色々な形で恩返しをしようと今から胸を躍らせている。
アフマディさんの外見は、欧州連合(EU)の国々での新たな人生に自身の将来を懸けてやってきたアフガン少年たちと何ら変わりはない。Tシャツとジーンズ姿で、バックパック1つに入った所持品が彼の全財産だ。
仲間の少年たちと重たい足取りで海辺を歩くアフマディさんだが、ぎこちないこの10代少年が凡人でないことは明らかだ。
その一つはアフマディさんの外国語に対する強い情熱だ。外国語好きが高じて驚くほど流ちょうに英語、フランス語、ドイツ語を操る。
次にはアフマディさんが抱く目標が壮大であることだ。「ロボットを発明した日本人のような」発明家になりたいのだという。この先ヨーロッパの人たちが難民のためにしてくれることへの感謝を表すためだ。
アフマディさんがやりたいことのリストのトップは、爆発物を探知して破壊するドローンの開発だ。そのような機器があったなら自動車爆弾で死亡した友人たちを救えたかもしれないという思いもある。
AFPとのインタビューで、アフマディさんは「プログラミングと設計をもう少し学ばなきゃならない。もしドイツに行けて誰かが支援してくれたらね。勉強には6か月から1年かかると思う」と話した。
アフマディさんはドイツのことを考えるのが楽しくてたまらない。ドイツで難民認定されれば可能性は無限に広がると感じている。「僕がドイツ人を好きな理由は、彼らが他人の才能を尊重し、信頼してくれるから」
■タリバンの脅迫「外国語を教えるな」
アフガニスタン西部ヘラート(Herat)の酪農家の息子に生まれたアフマディさんは、米兵とのおしゃべりで英語力を磨いてきた。だが母親はアフマディさんが米兵からたばこの吸い方を教えられるのではないかと心配したという。
2年前、アフマディさんは自宅の自室でコンピューターの基本操作や絵画、そして大好きな外国語を子どもたちに教え始めた。「自分の知識をみんなにも分け与えたかった。授業料はとらなかったよ。子どもたちの目は希望の光で輝いていた。それだけで十分だった」
だが、この教室のことがアフガニスタンの旧支配勢力タリバン(Taliban)の兵士たちの耳に入ったのだと、アフマディさんは続けた。アフマディさんの声は悔しさで震えていた。「あいつらは僕らに言った。『お前たちは異端者だ。その理由は子どもたちに外国の言葉を教えているからだ』。そして妹や母を石打ちにして殺すと脅してきたんだ」
■「僕たちは新しい人間」
タリバンの殺害脅迫を家族が恐れたため、アフマディさんは2014年、やむなく自分の「教室」を閉めた。欧州へ渡ろうと決心したのはこの時だ。アフマディさんの家族はアフガニスタンに残った。
アフマディさんが祖国を離れたのは50日以上も前だ。これまでの長旅の間、イランでは国境警備隊に殴られ、休みなしで24時間歩き通したこともある。「いざという時のために」お金を貯めようとトルコのスーパーマーケットで1か月働いたりもした。
これまでの厳しい旅を振り返る時や「ドイツでの夢」が指の間から滑り落ちてしまうのではないかと不安がる時のアフマディさんは疲弊しきって見える。「こんな旅をしていたら老けてしまうよ」
難民申請が受け入られるだろうか、受理されたとしても新たな国にうまく溶け込めるだろうか――そうした不安がアフマディさんの念頭から消えることはない。
ドイツは今年、最大100万人の難民と移民を受け入れるとしている。だが、全てのドイツ人がこれを歓迎しているわけではないと、アフマディさんは理解している。「(彼らにとって)僕たちは新しい人間だ。異なる文化や伝統を持つ国からやってきんだ。間違いなく、地元の人たちにとって問題になることがいろいろ起きるだろう。ドイツであろうとフランスであろうとね」
だがアフマディさんは続ける。「彼らが僕たちを好きになってくれたら、僕も彼らを理解できる。もしも彼らが僕たちを好きになれないなら、僕は彼らをもっと理解するように努めたい。彼らが外国人の存在を脅威に感じるのは当然のことだから」
アフマディさんは今回の旅のことをいつか本にしようと決めている。アフマディさんは自分の頭を軽くたたいて言った。「全部ここに入ってるよ。少年が祖国を離れてヨーロッパを目指す旅に出る話さ」。そして、こう付け加えた。「苦しみを逃れてきた人たちの記憶でもあるんだ」(c)AFP/Katy LEE