■「悲劇は海を渡って」

 トルコ第2の港、地中海(Mediterranean)沿岸のイズミル(Izmir)県に到着した際、難民たちが「ホテルの部屋を使うことができず、歩道で寝ている」のを見てショックを受けたというアハマドさん。彼には、密航業者からアパートの1室が宿泊場所として提供された──しかしその部屋は、ネズミと虫でいっぱいだった。

 その後、アハマドさんら約70人は、小さなバンに詰め込まれ、そしてギリシャのレスボス(Lesbos)島へと向かうゴムボートに乗った。その際、生き残れない可能性を知りながら、他の何万人と同様に密航業者にそれぞれ1250ドル(約15万円)支払った。

 突如不安にさいなまれたのか、14日の投稿には「親愛なる地中海よ、私、アハマドは、あなたの波を無事に乗り越えたい」と記されていた。

 17日、夜明けの最初の光が海に差した時、アハマドさんは自分がギリシャの海岸にいるのを知った。そして膝をたたきながら、「悲劇は海を渡る/シリアは去って行った子どもたちが戻ってくるのを願っている」とまるで死神が付きまとっているかのような自国の状況を憂いた。

 その他大勢と同様、ドイツに到着することを夢見て、マケドニア、セルビアへと歩を進めたアハマドさん。そして19日夜には「入れてくれれば…」と、クロアチアの首都ザグレブ(Zagreb)へと向かった。

 アハマドさんはAFPに「ノンストップだった。この3日間寝ていない。疲れた。目的地に間もなく着くことを願っている」と述べ、「ヤルムークの通りで弾いたように、ベルリン(Berllin)の町でもピアノを弾きたい」と続けた。

 しかし、彼の夢はそこで終わらない。「最も有名なオーケストラで演奏してみたい。世界中を回り、ヤルムークの難民キャンプに閉じ込められている人々や、まだシリアに残っているすべての人々苦しみを伝えたい」とAFPに話した。(c)AFP/Rana Moussaoui