■「子供らは空腹で泣いていた」

 イスラム過激派組織「イスラム国(Islamic StateIS)」の戦闘員らが4月に同キャンプを攻撃した直後、アハマドさんのやさしい、つかのまの希望の光は炎に包まれた。

 ピアノをピックアップトラックに乗せ、妻と息子2人が生活する近隣のヤルダ(Yalda)に移動中、アハマドさんは検問所で戦闘員らから停車を求められた。銃を持った戦闘員の男は、「音楽はハラム(イスラム教で禁止されているもの)だと知らないのか?」と述べ、そして彼の大切なピアノに火を付けた。

 アハマドさんは、ぼろぼろになってはいたが、自身にとっては宝物のようなアップライトピアノが燃やされた瞬間、「ここを出よう」と決めた。そして、欧州に渡った後にでシリアに残った家族を呼び寄せると心に誓い、ロケット弾をかいくぐりながらダマスカスを出て危険な旅を開始した。

 トルコ国境には、ホムス(Homs)やハマ(Hama)、イドリブ(Idlib)県を通過して到達した。旅路については「すべての段階で、人身売買業者に会った」とアフマドさんは振り返る。密航業者の助けを得て、有刺鉄線の柵をくぐり抜け、暗い森で眠るなどした。警備態勢が強化されたトルコでは、治安当局の監視をくぐり抜けた。

「私たちは、何も食べずに24時間歩き続けたこともあった。子どもたちは空腹で泣いていた。ひどい経験だった」と語るアハマドさんによると、他のシリア人男性や女性、子どもたちと一緒に、山岳地帯を進み、目的地に到達したのだという。

 オンラインでの旅路公開は9月10日開始。フェイスブック(Facebook)に投稿された最初の写真はアハマドさんの衰弱した顔だった。ヤルムークにいた時の体重は45キロしかなかった。