■カメラを回さない時間

 翌日、私たちの「怪物狩り」は再開された。線路をたどり駅から駅へ、人里離れた村々や田舎道を通り抜けたが、報じるに値するものは何もなかった。少なくとも、これまでに見たことのないものは何もなかった。だがこの2日間、狭い道沿いで、奮闘する無数の移民たちを見てきた。彼らはそこまでの何百キロもの移動ですり減っていたが、先はまだ何千キロもある。

 現場に出ていると、取材の倫理原則が違うように思えることがある。今、目の前にしている悲惨な人権状況に対して何かできないだろうか、関与すべきではないだろうか。いや、彼らの物語を報じようとしている自分が、彼らの人生に手を貸してしまって良いのだろうか──。

 私たちは関与することにした。水やバナナ、ビスケットなどを出会った移民たちに渡した。足に水ぶくれができた人、警察から走って逃げた際に木の枝で切り傷を負った人、「怪物列車」から落ちて頭を深く切った人、虫にひどく刺された人たちを手当てした。

 カメラを回さなかったこうした時間も取材の中に生きてきた。移民たちが自分の人生や夢、抱えている問題について口を開いてくれる時間だったからだ。何人かは後で撮影に応じてくれた。身元を明かさずにいたいという人もいた。信頼とは時に人間同士の最も素朴な交流から生まれる。

 土曜日、私たちは80キロ北のパレンケ(Palenque)にいた。夜が深まり、月の光が照らす中、何十人もの移民たちが線路沿いに散らばり、列車を待っていた。私たちのカメラマン、アルフレドがその一団に近づくと、そこにフアンがいた。

 ジャーナリストとしてチャンスだった。何万人もの若者たちの苦境に、子どものような姿をしたフアンという「人の顔」を与える機会だ。メキシコに着いたときから、列車に乗って北へ向かうまで、彼の人生の一片を追いかけることができる。

 だが、取材相手と親しくならずに人間味あるストーリーを伝えることはできない。私たちはカメラのスイッチを切ってホンジュラス人の若者、フアンと長い時間、話した。コーヒーとたばこを一緒に味わった。神について、将来について語った。束の間の仲間意識が生まれた。まったく知らない人間から、最も深い秘密を打ち明けられれば、強い共感が起きるのは当然だ──記者は常にそれを自らに許してはならない職業なのだが。一つ一つのストーリーに自分が打ちのめされていては、人道的悲劇の数々を報道することなどできなくなる。

 列車が動きだした。一瞬もちゅうちょせずに、フアンたちも走りだし、飛び乗りやすい場所をうかがっていた。砂利だろうが木の枝だろうが、彼らを止めることができるものなど何もない。その怪物列車に乗らずして、アメリカンドリームにはたどり着けない。

 私とカメラマンも彼らを追った。フアンは走り、とげのある茂みを飛び越え、よろめいても体勢を立て直し、ついに列車のはしごをつかんだ。アルフレドと私もつまずいたが、何とかその瞬間を撮ることができた。フアンは「怪物」を手なづけたのだ。彼は私たちに向かって手を振った。勝利を手にした笑顔だった。