■2022年W杯の開催地投票では疑惑の目も

 プラティニ氏は現役引退後、若くしてフランス代表監督に抜てきされたが、1990年のW杯イタリア大会では本戦出場を逃し、1992年の欧州選手権ではグループステージ敗退に終わった。

 それでもプラティニ氏は、1998年のW杯フランス大会で組織委員会の共同委員長を務めて以降、持ち前の政治手腕を発揮するようになった。

 この年のFIFA会長選でブラッター氏を支持し、当選に導いたプラティニ氏は、2001年にフランスサッカー連盟(FFF)の副会長に就任すると、2007年にはUEFA会長のポストに就いた。

 フランスで開催される来年の欧州選手権2016(UEFA Euro 2016)では、史上最多の24チームが出場し、今後も出場チームの拡大を見据えているプラティニ氏は、今年5月に実施された会長選ではブラッター氏の対抗馬として立候補しなかったものの、次期会長選では後任の最有力候補に挙げられている。

 幅広い支持を獲得するとみられているプラティニ氏だが、今後は自身も疑惑に関する質問にさらされる可能性があり、2022年W杯(2022 World Cup)の開催地を決める投票で、カタールに票を入れたこともその一つとなっている。

 中東の気候に大きな懸念が示されているにもかかわらず、FIFAがカタールを開催地に選んだことについては、現在も批判が集中している。

 プラティニ氏は、カタールに投票したことを即座に認めたが、これは自身の権力を欧州以外の国にも拡大するためだとみられており、このことがプラティニ氏に対して疑惑の目を向けられることにつながった。

 プラティニ氏は昨年、仏レキップ(L' Equipe)紙に対し、「私は清廉潔白だ。自発的に、どこに投票したのか明かしたのは私だけだ」と主張し、「何も後悔していない。FIFAと世界中のサッカーにとって、正しい選択だった」とコメントしている。

 カタールに投票したことについて、ニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)前大統領の影響があったことを否定しているプラティニ氏だが、息子のローラン(Laurent)氏は現在、カタール資本のスポーツアパレル会社に勤務しており、この事実も疑惑の一因となっている。

 プラティニ氏はまた、昨年のW杯ブラジル大会(2014 World Cup)で、ブラジルサッカー連盟(CBF)から渡された2万5000ドル(約310万円)相当の時計について、返還を拒否したことで物議を醸している。

 FIFAは、組織の倫理違反に触れるため時計を返還するように求めているが、プラティニ氏は、「私は教養のある人間だから、贈り物を返すことはしない」と述べている。(c)AFP