■「皆、どこ?」──カトマンズ支局長アム・カナンピリ

 揺れが止まり、目を開けると、すべてが真っ白だった。まるで粉砂糖の中に放り込まれたようだった。

 私は雪をかいて抜け出そうとして、両手が血だらけなことに気付いた。眼鏡はなくなっていた。ロベルトの名前を叫ぶと、うめき声が聞こえた。彼はスペイン語で「マイ・ゴッド」と言っていた。

 シェルパのパサンが私の名前を読んでいるのが聞こえたので、ありったけの大声で叫んだ。彼は駆け付けてきてナイロン製のテントを破り、私たちを引き出してくれた。身を起こすと一面が真っ白で、ただただ静寂があった。「どうして、こんなに静かなの? 皆、どこ?」と思った記憶がある。

 荷物係の一人が毛布に包まれ、ひどい痛みを訴えていた。雪崩が起きる2分前に初めて会ったばかりの食事室係は、頭から血を流していた。見つけたトイレットペーパーを彼女の頭に巻こうとしたら、彼女も同じように私の手に巻いてくれた。

 最初の余震の後、私はビデオカメラを取り出して撮影し始めた。目がよく見えなかったので、フルオート撮影にした。すぐにトイレットペーパーから血がにじみ出てきて、カメラにも血がついた。余震が何度も起こり、パサンにここから動かなければと言われた。

 私たちは登山ツアー会社ヒマラヤン・エクスペリエンス(Himex)の隊のテントへ行った。彼らに手を洗ってもらい「ここで休んでいなさい」と言われたが、私も誰かを助けなくては、働かなくてはと思い、じっとしていられなかった。

 何かをする必要があるという思いにかられ、誰かからもらった手袋をはめて救援活動の写真をいくつか撮った。彼らの仕事は早かった。地震発生当日はヘリコプターによる救援はなかったが、人々はすでに手当てを受けていた。彼らは組織化された医療支援チームであり、寝袋で私たちを助けてくれた。

 その晩、Himexのテントには15人から20人ほどがいたが、私はあまり眠れず、負傷した荷物係のことなどをずっと考えていた。なぜ、私たちが生き延びることができたのか、分からなかった。

 夜中にトイレに行き、その帰り道に空を見上げると、美しい山々と澄みきった空が見えた。とても美しかった。まるでその日、何事も起きなかったかのように。(c)AFP/Roberto Schmidt/Ammu Kannampilly 

この記事は、AFP南アジア地区写真主任のロベルト・シュミットと、カトマンズ支局長のアム・カナンピリが書いたコラムを翻訳したものです。