■父の「仕事場」で

 ミショおじさんの評判はサラエボ市役所にも届き、09年には市から勲章とささやかなアパート、それに年金を授与された。いつもいた場所には「サラエボの通りの最後の靴磨き職人ミショおじさんの仕事場」と刻まれた石板が置かれている。同じ場所で今、父親の動きをまねているパシッチさんは「父が残したハードルは高いね」という。それでも「父が使っていたブラシを手に持つと、彼の手に触っているような気持ちになる。私の唯一の財産だ」

 パシッチさんは7か月前に妻を亡くし、今は小さなアパートに息子家族と一緒に暮らしている。ボスニアの冬の寒さは容赦なく、サラエボの路上にはほとんど日が当たらない。そのためパシッチさんはスキースーツを着込んで仕事場に現れる。1984年のサラエボ冬季五輪のときに買ったものだ。たいていの人は気付きもせずに通り過ぎるため、最初の客が来るまでに何時間も待つこともある。

 客の靴を磨いているときの会話の始まりは、いつも決まっている。父親のミショおじさんについてだ。誰もが彼に関するエピソードを持っている。「彼は靴磨き以上の存在だった。靴をきれいにしておくのは大事だが、それよりも伝説であるミショおじさんとの会話が楽しみでここに来ていた」と50代のビジネスマンはいう。「今はラミズおじさんがいい仕事をしてくれるが、少し違う。彼の父親とそっくりなのは間違いないけどね」

 現在、パシッチさんのもとを訪ねる客の大半は、ミショおじさんの常連客だった人たちだ。「靴を磨かないときでも、マルカ通貨を1個か2個(約65~130円)ただ置いていってくれたりする」。受け取っている年金は毎月150ユーロ(約2万円)ちょっとで、少なくともその半分位の額を靴磨きで稼ぎ、その大半を妻の葬式をあげた際の借金の返済にまわす。

 妻亡き今、家に帰る理由はほとんどないと語るパシッチさん。「誰にとっても父親との約束は神聖なものだ。体が許す限り、私はここで仕事をする。このいすに座ったまま死ねれば本望だ」(c)AFP/Rusmir SMAJILHODZIC