現代美術作家の奈良美智氏、AFPインタビュー
このニュースをシェア
■震災後に覚えた「無力感」
記者:震災によって歴史の一部が失われ、日本のアーティスト、そしてアートシーンはどういう影響を受けたのかお聞かせ下さい。
奈良:大きな震災だったから、(当時は)そういうことまでは考えられなかった。(被災地に)住んでいる人たちの安否が気になり、美術に関しては全然考えられなかった。震災後、美術というものが無力だと感じた。
記者:アーティストとして無力感を感じたということですか。
奈良:アーティストしても、東北で生まれ育った一人の人間としてもそう思ったよ。文化財が流されたり壊れたりすることよりも、自分の家が壊れて、思い出のフォトアルバムがなくなって、みんな写真も何もないわけ。一枚の父と母と子どもの写真がなくなる。その写真の方が文化財よりも、その人にとっては大切。もしあなたがアルバムやビデオを全てを失ってしまったら、おじいさんやおばあさんを思い出せなくなる。絶対にそうした写真の方が大切。それでアートっていうものは、経済的に余裕のある人、あるいは権力を持つ人、そういうところで成立していたんだなと感じた。そういうことがあって、絵を描けなくなってしまった。
記者:どのくらいの期間、絵を描くことができなかったのですか?
奈良:震災後6か月の間に1枚しか描けなかった。いつもだったらその10倍以上描いている。
記者:無力感を感じた後、どうやってアーティストとしての活動に意義を見出したのでしょうか?
奈良:僕は他の日本の人が考えていたのと同じように、一人の人間として何ができるのかを考えた。とにかく物資を(被災地に)運んでいくことを、3月の終わりに個人的にやりました。
記者:作品においてはどうでしょう?
奈良:その時に僕は自分が学んだ大学に行ったんです。ずっと昔に卒業した愛知の大学(愛知県立芸術大学、Prefectural University of Fine Arts and Music)です。そこからアーティスト・イン・レジデンスのオファーが震災の前にあった。結局、半年間そこにいて、そして学生の中に混じって制作をした。普通は1日だけ講演して終わったり、ワークショップをちょっとやって終わるんだけど、僕は半年いたのね。僕は絵が描けなかったから、直接手を使って何かできるだろうかと思って、粘土を使ってものをつくりだした。
記者:触るということが大切だったと?
奈良:それは考えたんじゃなくて、やっぱり本能的にやってたのね。自分が勉強した学校だから特に良かった。風景も知っているし、同じ木々、同じ建物、そういったものが自分を自分に回帰させた。普段は作品制作の際にアシスタントは使わないんだけど、ここでは時々みんなで一緒に制作した。それも学生時代の感覚だった。自分のリハビリとしてやっていたのかも…学生たちと一緒にね。
記者:それがあなたを回復させ、もう一度成長するきっかけを与えたんですね。
奈良:そうです。僕も生徒の一人だった。本当の先生は僕より歳が若かった。彼は以前僕の生徒だったんだ。だから何でも言えたし、夜通しそこで制作することもできた。
記者:とても辛い時期だったでしょうけど、幸せそうですね。
奈良:ええ、良いリハビリでした。
奈良氏はその後、レジデンシーの期間を終え、自分のスタジオで絵を描くことを再開した。