後世に写真は残るのだろうか。それとも写真を撮った写真?

 アウシュビッツの生存者たちは、私たちが彼らを信じないのではないかと恐れている。そして私たちが過去を忘れることを恐れている。

 自分の経験を私に語るたびに、地獄からおぞましい記憶を掘り起こしていたショシャナさんは、そのグレーの瞳でしっかりと私を見つめ、私が彼女の話に集中していることを確認しているようだった。

 彼女には、もはや「話せない」ことなどない。それでも私たちとしては表に出せない話もある。ショシャナさんが私に語った情景のいくつかは、AFPの記事でもこのブログでも表現できない。遺体焼却所や人体実験に関する詳細は、あまりに生々しすぎ、ある意味、不可侵でもある。

 ジャーナリズムの様々なしばりから、聞かせてもらった全ての話を記事にすることはできないため、彼らの信頼を裏切っているような気持ちにもなる。

「生存者の通り」で過ごした1日が終わった後、私は何時間分もの取材テープと黄色いノートを、封ができるプラスチックのバッグに入れた。他の取材ノートと一緒にならないようにするためだ。

 このノートだけは絶対になくしてはならない。(c)AFP/Daphne Rousseau


この記事は、AFP通信のエルサレム在住の記者、Daphne Rousseauが書いたコラムを翻訳したものです。