■「集団で歩くときは常に真ん中に」

 ポスムイシさんもパチンスキさんも、19歳で収容所へ送られた。2人が生還できたのは、まだ若く、そして収容所で生き延びる方法を素早く学んだからだった。

「生き延びる方法を覚えた。集団で歩くときには、最前列や両端にならないよう気を付けるのが肝心だった。常に集団の真ん中の方にいるようにして、犬や看守、囚人を殴って来るカポ(監視役の囚人)たちから離れていなければならない」「何としてでも、懲罰を受けるような目に遭わないようにすることが基本だった」(ポスムイシさん)

 囚人番号「118」のカジミエシュ・アルビン(Kazimierz Albin)さん(92)が生き延びることができたのは、1942年2月27日に他の囚人6人とともに脱走したからだ。「星のきれいな夜で、外気温は零下8~10度だった」と追想する。「みんなで服を脱いで、ソラ(Sola)川を半分ほど渡ったところでサイレンが聞こえた。私たちの周りには氷が浮いていた」。逃げ切ったアルビンさんは、ポーランドのレジスタンスに合流した。

 脱出した例は、まれだ。収容所跡地にあるアウシュビッツ・ビルケナウ博物館(Auschwitz-Birkenau Museum)によれば、アウシュビッツへ送られた約130万人のうち、脱出を試みたのは女性45人を含む802人だけで、成功したのはわずか144人。327人が捕まり、残る331人の運命は分からない。

「あの殺人者たちを忘れたり、許したりすることができるだろうか。真っすぐガス室へ送られた女性や子どもたちのことを忘れることなど、絶対にできない」。こう述べたパチンスキさんは、だが、次のように付け加えた。「終わりのない戦争を続けたって、死者は帰ってこない──和解がなされ、平和があり、境界が消えたことを嬉しく思う」 (c)AFP/Maja Czarnecka