■囚人が行っていた収容所長の散髪

 囚人番号「121」の入れ墨を持つユゼフ・パチンスキ(Jozef Paczynski)さん(95)は、目を閉じれば、アウシュビッツの悪名高い所長、ルドルフ・ヘス(Rudolf Hoess)のひげそりと散髪の儀式をありありと思い出すという。

 パチンスキさんは1940年6月に初めてナチスがアウシュビッツへ送り込んだ囚人700人のうちの1人だった。収容所へ到着するとまもなく、理髪班に配属された。「(収容所には)ワルシャワ(Warsaw)から来た理髪師たちが8~10人ほどいて、ヘスは私のような見習いに命じて自分の髪を切らせた」

「私の手は震えた。しかし、命令は命令だ。仕事をしなければならなかった」と、パチンスキさんはAFPに語った。「カット方法は簡単だった。一般的なドイツ風の髪型だ。かみそりで首筋をそらなければいけなかったし、もみあげにはバリカンを使った。私はいい道具を持っていた。同僚がいつも刃を研いでおいてくれた」

 かみそりをヘスの喉へ突きつけようと思ったことはなかったのか、という質問をパチンスキさんは何度も浴びるという。「結果は分かっていたし、私は狂ってはいなかった。もし私が彼の喉を切り裂けば、すぐさま収容所の囚人の半分が処刑されただろう」