■好奇心、寛大さ、健全な怒り、深い責任感

 カビューと最後にちゃんと話したのは何年も前のことだ。フランスの異なるコミュニティー間で緊張が高まっていることについて、彼は頭を横に振り、フランスのイスラム教徒たちが汚名を着せられていることについて、冗談まじりにこう言ってきた。「私も自分のことを、キリスト教の家系に生まれたフランス人のジャンです、と自己紹介すべきかな?だって最近はみんなそういうふうにしているようだから」

 彼らが死んだ日、私の頭に最も鮮明にとどまったイメージは、シャルリー・エブドの編集者たちの大きな好奇心と寛大さ、健全な怒り、深い責任感と徹底さをもって、絶え間なく報道に目を通してアイデアを探し、事実の照合を行っていた様子だ。

 彼らは私にふてぶてしく快活になること、型にはまらない考え方をすること、何事にも疑問を持つこと、議論を尽くし、物別れに終わってもそれを笑い飛ばすことを教えてくれた。

 武装勢力や兵士の前に立ったとき、あるいはロシア大統領府を取材しているときに、よくシャルブやカビューのことを思い出してきた。彼らの鋭くてウイットに富んだ視点なら、私が見つけられないどんなことを見つけるだろうかと考えるのだ。

 今夜、彼らの死によって私の心にはぽっかり穴が開いてしまったが、彼らが描く手を止めたとき、シャルリー・エブドのあの大きなテーブルにチョコレートと「プチ・エコリエ」のビスケットがあったと信じたい。(c)AFP/Karim Talbi



この記事は、AFP通信のモスクワ副支局長、Karim Talbiが書いたコラムを翻訳したものです。