2008年の裁判でシェリフ容疑者は、イラクの首都バグダッド(Baghdad)のアブグレイブ(Abu Ghraib)刑務所での米軍による捕虜虐待に触発されたことを認めたが、イラク行きを免れたことに安堵(あんど)していると語っていた。また、自分はスーパーマーケットで働いており、主な興味はラップ音楽であり、聖戦ではないと主張した。ソーシャルメディア上では現在、逮捕の1年前に撮影された、ラップのスキルを披露する同容疑者のアマチュア動画が出回っている。

 シェリフ容疑者は禁錮3年(うち1年6月は執行猶予付き)を言い渡されたが、その後も過激派とのつながりは密になる一方で、出所の数か月後には新たな犯罪計画に関与することになった。2010年5月に起きた、アルジェリア人イスラム過激派のスマイン・アイト・アリ・ベルカセム(Smain Ait Ali Belkacem)受刑者の脱獄未遂事件だ。

 ベルカセム受刑者は、1995年10月にパリ地下鉄のミュゼ・ドルセー(Musee d'Orsay)駅で起き30人の負傷者を出した爆破事件で、2002年に終身刑を言い渡され服役中だった。シェリフ容疑者は、この脱獄未遂事件で起訴され禁錮10年の刑を受けたジャメル・ベガル(Djamel Beghal)元受刑者と親しくなっていたと報じられている。同事件をめぐるシェリフ容疑者への起訴は取り下げられていた。

■イスラム国とのつながり

 イラクのアルカイダ組織は、徐々にイスラム国へと変貌を遂げ、親集団であるアルカイダとのつながりを絶つようになった。イスラム国は昨年、シリアとイラクの広範な地域を掌握、米欧の人質を次々と「処刑」し、世界中で悪名をはせた。

 シェリフ容疑者は、チュニジア系フランス人のイスラム国戦闘員、ブーバケ・ハキム(Boubaker al-Hakim)容疑者と幼なじみであったことから、イスラム国とのつながりがあった可能性が示唆されている。ハキム容疑者もまた、ビュット・ショーモン・ネットワークの中心的メンバーの一人だった。

 ハキム容疑者はシェリフ容疑者と同時に裁判にかけられ、禁錮7年の刑を受けたが、出所後すぐに過激派の活動に復帰し、チュニジアで2013年に起きた世俗派政治家のショクリ・ベライド(Chokri Belaid)氏とムハンマド・ブラヒミ(Mohamed Brahmi)氏の暗殺事件では犯行声明を出した。