酔いに迷える群れ、日本の「サラリーマン」─アーバントライブ(6)
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■破られた社会契約
好景気に沸いた1980年代、日本の男性たちはまずまずの大学を卒業すれば大抵の場合、良い仕事を得ることができた。生涯にわたる忠誠と引き換えに、勤続年数に伴って昇進・昇給する確実なキャリアが保証された。
その頃のサラリーマンはとにかくよく働いた。朝早くに出社し、夜は付き合いに加わることが当然視された。週末は仕事付き合いのゴルフに出かけ、仕事と関わらない唯一の日は寝て過ごした。子どもと顔を合わすことが少ないなどつらいことは山ほどあったが、生涯にわたって仕事が保証され、常に面倒をみてくれる会社があることが、この「契約」を価値あるものにしていた。
だがバブルははじけ、日本経済は低迷した。雇用計画は縮小され、給与額は凍結される一方、会社側は支出に見合う価値をいっそう厳しく求めるようになり、サラリーマンの残業は常態化した。
それから20年以上が経ち、終身雇用は例外化した。今日では、一流大学を卒業しても、一部の人は正社員の職を見つけるのに苦労し、身分が保障された同僚たちと同じ仕事をより低い給料と不安定な雇用状態でこなさなくてはいけなくなった。
キングストン教授は一方で、一部の若者たちは父親や祖父たちが強いられてきた犠牲に疑問を感じ始めていると指摘する。「彼らは懸命に私生活を守り、仕事一色にならないようにしている。日本株式会社こそが『社会契約』を破ったのだから、報いられることもない犠牲をなぜ払わなければならないのか、というわけだ」