【10月27日 AFP】午前4時、西アフリカの「エボラ・ホットゾーン」でちょっとでも体の火照りや倦怠感、かゆみを感じたら、一気に疑心暗鬼に陥ってしまう。あの子供は私の腕に触ったか?あのつばを吐き散らしていた老人は感染者だったのか?インタビューと手洗いの間に顔を触ったんじゃないか?これは頭痛?もしかして熱があるんじゃないか?

 ホットゾーンとは、ウイルス学者たちがエボラ出血熱の流行の中心地を指して使う言葉だ。西アフリカで猛威を振るうエボラウイルスは体液を介して感染する。発症すれば、吐き気や下痢、頭痛、そして高熱に見舞われる。もっとおぞましいのは、体の内部などあらゆるところから出血する患者の症状だ。死に至るまでに内臓が液状化してしまう。

 エボラ熱による被害が深刻なシエラレオネに11日間滞在した私の心は、もう帰り支度を始めていた。

 私はAFP通信が8月にエボラ熱報道のために初めてシエラレオネに送った取材チームの1人だった。私(記者)と、ビデオジャーナリストのサミール・タウンシ(Samir Tounsi)、フォトグラファーのカール・デ・スーザ(Carl De Souza)の3人で苦楽を共にした。

 首都フリータウン(Freetown)から陸路で東部のホットゾーンへ向かった。もくもくと煙を噴き出すポンコツ車に揺られてサバンナを抜けると、深い熱帯雨林が見えてきた。目的地は、すでに何百人もの死者を出していたカイラフン(Kailahun)とケネマ(Kenema)地域。隔離され、特別な許可証がない限り入ることも出ることも制限されていた地域なので、検問があることは予想していた。

 だが検問があるどころではなかった。私たちは白い防護服を着た人たちに何度も止められ、尋問され書類の提示を求められ、体温もチェックされた。立ち入るべきではない区域に飛び込もうとしている愚か者として扱われた。

 私たちはここの危険を甘くみていたのかもしれないと思い始めた。

 カイラフンの人口は3万人。自分は感染していなくても家族や知り合いが感染したなど、ほとんどの人がエボラウイルスにさらされた危険性をもっていた。つまり、私たちにとっては誰もが「敵」だった。墓を掘る人から私たちの車に同乗したいと言われたが、断った。酔っ払ったうえに精神的に不安定な様子の老人が千鳥足で私たちの(壊れて窓が閉まらなくなった)車に迫ってきたときは、大声で叫んで追い払った。車の窓に彼の――感染している可能性がある――つばが飛んできた。

 カイラフンにある国境なき医師団(Doctors Without BordersMSF)の治療センターで快方に向かっていたナロという男性にインタビューしていたとき、私はホットゾーンから出ることを考えていた。腰の高さのプラスチックのフェンス越しに、約2メートル離れて話を聞いた。彼はセンターを出たら、教育を通じてエボラ撲滅のために働きたいと語った。

 その前日、私は彼の妻ハワにもインタビューしていた。死の淵にあった義父から感染した彼女はセンターでの治療で回復し、家に帰るところだった。もう一度生きるチャンスを与えられた彼女は、心は夫のナロと一緒にセンターに残していくと語っていた。

 彼があのまま回復したことを願いたい。

 ケネマの状況はもっとひどく、病院は無秩序状態となっていた。救援隊員によると18人の看護師がすでに亡くなっていたし(病院は12人だと言っていた)、エボラセンターから数メートル離れたところでは、患者か訪問者とみられる男性が壁に向かって立ち小便をしていた。