AFPは公表することを選んだ。ただし細心の注意を払って。ブレイビクの手紙からの直接の引用は最小限にし、読者には彼の精神状態が裁判の焦点であったことを明示した(最終的に裁判所は、彼の責任能力を認めた)。

 こういった状況では、ジャーナリストは犯罪者に利用されるリスクも背負わないといけない。多くの若い命を奪った3年前と変わらない憎しみに満ちたブレイビクのメッセージを拡散する手段を与えている可能性がある。ノルウェー人が、刑務所で一生を過ごさせ、記憶から消し去りたいと思っている犯罪者に「声」を与えているのかもしれない。そして最大の懸念は、まだ癒えない犠牲者の家族の傷口を再び開いてしまう可能性だ。

 ノルウェーのほとんどのメディアは、そうしたリスクを避けるために、ブレイビクの3通目の手紙の公表を見送った。2通目のプレイステーションについての話は少しは話題になったが、国外での取り上げられ方と比べればほとんど注目されなかった。

 一方で、ブレイビクがノルウェーに大きな傷を残した事実は否定できない。文明社会の常識から外れたこの大量殺人犯が現れたことにより、国民の間には、彼を許さずとも理解したいという欲求が出てきた。人々は、なぜ平和的なノルウェーから、あのようなモンスターが生まれたのかを知りたがっている。

 民主的な手段を選ぶとのブレイビクの発言は遅すぎるし、暴力を放棄するというのもどこまで信じられるか怪しいものだ。それでも、やはり私たちに突きつけられた問題は、ジャーナリストは彼の手紙から目を背けてもいいのか、だ。彼を凶悪犯罪に駆り立てた思想とはいえ、その「政治」は無視されるべきなのか?

 これまで読者の反応から判断するに、その答えは割れている。そして私自身も、この問いに対する確固たる答えをまだ見いだせずにいる。(c)AFP/Pierre-Henry Deshayes


この記事は、AFP通信のノルウェー・オスロ在住の記者、Pierre-Henry Deshayesが書いたコラムを翻訳したものです。