【9月15日 AFP】サッカー元イングランド代表のリオ・ファーディナンド(Rio Ferdinand)が、弟のアントン・ファーディナンド(Anton Ferdinand)に対して人種差別的発言を行った元同国代表のジョン・テリー(John Terry)について、「絶対に許すことはできない」と明かした。

 しかしながら、ファーディナンドは機会が与えられていれば、再びテリーと並んで代表でプレーする心構えはできているとも話している。

 両者の対立は、イングランド・プレミアリーグのチェルシー(Chelsea)で主将を務めるテリーが、2011年11月に行われたクイーンズ・パーク・レンジャーズ(Queens Park RangersQPR)とのリーグ戦で、人種差別的な言葉を吐いたことが発端になっている。

 この問題でテリーにはイングランドサッカー協会(Football AssociationFA)から4試合の出場停止処分が科せられ、のちに起訴されたものの、裁判では無罪となっている。

 ファーディナンドは、英大衆紙サン(The Sun)で連載している自伝の14日掲載分のなかで、テリーが自らの過ちを認めず、ファーディナンドにも弟にも直接謝罪していないことについて批判した。

 ファーディナンドは、「僕にとって、最大の愚か者は常にジョン・テリーだ」と語っている。

「イングランド代表の主将で、僕のセンターバックのパートナーだった彼が、あの発言をしてしまったのは頭に血が上ったからで、人種差別的意図はなかったとすぐに認めていれば、彼は多くの傷からみんなを救えていたはずだ」

「僕はそれが事実であり、真相だったと思っている。アントンと僕は、それを受け入れられたはずだ。だけど、彼がそのチャンスを決して与えようとしなかった」

「実際、ジョンとあの事件について話したことは一度もない。彼とはずっと話をしていないが、3年が経過しても僕は彼を許せないし、僕の家族が味わった痛みも忘れることができない」

 ファーディナンドによると、事件のせいでアントンは殺人をほのめかす脅迫を受け、母親は自宅の窓が割られたり郵便ポストに弾丸が撃ち込まれたりした影響で、精神的ストレス状態に陥り入院したという。

 ファーディナンドはまた、人種差別問題が起きる以前のテリーとの関係について、「僕らは最高の仲間ではなかったが、サッカーでは最高の相棒だった」と明かした。

「彼はその愚かさゆえに、僕の弟に起きたことをただ座って傍観していた。あれは裏切りであり、彼は自分のしたことから逃げようとした」

 マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)で活躍し、現在はQPRに所属するファーディナンドは、2011年から代表チームでプレーしておらず、2013年5月に代表引退を表明している。

 しかし、フィールド外での問題は別として、テリーと代表チームでプレーする準備はできていたと主張した。

 35歳のファーディナンドは、「変に聞こえるかもしれないが、僕は喜んで彼と一緒にイングランド代表としてプレーした」と語っている。

「好きではない選手とも長い間プレーしていた」

「マンチェスター・ユナイテッドでも、一緒に飲みにいかなかったり、電話やメールをしなかった者もいる。それでも、仲間としてプレーしていた」

「代表のロイ・ホジソン(Roy Hodgson)監督も、せめて『ジョン・テリーとプレーできるか?」と僕に聞くべきだった。仮に僕が『ノー』と答えたら、そのときは僕らのうち1人を代表から外し、もう一方を選べばいい。でも、そういう話は一切出なかった。すべてについて、もっと良い対処法はあったはずだ」

 ファーディナンドは、さらに元イングランド代表のアシュリー・コール(Ashley Cole)が裁判でテリーを擁護したことで、同選手との子供時代からの友情が終わったことも明かした。

 ファーディナンドは、「アシュリー・コールは長年の友人だった。僕らは子供のころから知り合いだった。でも、彼が裁判でジョン・テリーの弁護側に立つと決めた日に、彼との友情は終わった」と述べている。

「アントンから電話で聞いたときは混乱した。彼は昔からの知り合いだったアントンを裏切ったんだ」

 しかしながら、ファーディナンドは自身のツイッター(Twitter)でコールについて、「彼はテリーを擁護しろという圧力に屈した『チョコアイス(外側は黒で中身は白)』だ」と投稿したことは間違いだったとしている。

 ファーディナンドは、「あんなことはすべきではなかったが、当時はそう感じたんだ」と語った。(c)AFP